スバル「レガシィ」が36年の歴史に幕! なぜ名車無くなる? 米国工場で「最終モデル」をラインオフ… セダン・ワゴン・SUVで成功を収めた「伝統のモデル」に何があったのか
スバルは米国の生産拠点において、「最後のレガシィ」をラインオフしました。これで、36年続いた伝統のモデルが完全に終了したことになります。
米国工場で「最後のレガシィ」をラインオフ!
2025年9月12日、米国・インディアナ州にあるスバルの生産拠点SIA(スバル・オブ・インディアナ・オートモーティブ)にて、「最後のレガシィ」(セダン)をラインオフし、ひとつの時代が終わりを告げました。
1989年の誕生以来、スバルを象徴する存在であり続けたレガシィですが、その歴史の幕引きは、本拠地である日本と、もうひとつの主要市場である米国とで、異なる道のりをたどっています。

初代レガシィは、水平対向エンジンとAWD(4WD)を組み合わせた卓越した走行性能と、セダンおよびツーリングワゴンのスタイリッシュなデザインで絶大な人気を博し、当時のスバル(富士重工業)を経営危機から救った救世主となりました。
特に「レガシィ ツーリングワゴン」は、その万能性と走行性能の高さで日本のステーションワゴン市場を牽引。他社に大きな影響を与えるほどの存在でした。
しかし、市場のニーズの変化とともに、その役割は徐々に後継モデルへと引き継がれていきます。
2014年にはツーリングワゴンの後継として日本市場に最適化された「レヴォーグ」が登場。2020年にはセダン市場の縮小を受け「レガシィ B4」が、そして2025年3月にはSUVラインナップの再編を理由に「レガシィ アウトバック」が販売を終了。
これにより、日本ではレガシィの名を冠した全てのモデルが姿を消し、スバルの乗用車として最も長く続いた歴史ある車名が幕を閉じました。
レガシィ終了の理由について当時スバルは、「2019年に北米で7代目レガシィが登場した当初、日本仕様のレガシィB4は遅れて発売することを予定していたものの、日本のセダン市場が以前より厳しく、導入するという判断ができなかった」、「日本市場に適した小型の『レヴォーグ レイバック』を発売し、アウトバックは役目を果たした」とコメントしています。
一方、米国でのレガシィは「初の米国製スバル車」として特別な意味を持つモデルでした。
デビュー以来、米国で販売される全てのレガシィはSIAで生産され、累計約140万台という販売実績がその成功を物語っています。
米国ではセダンとSUV(アウトバック)が独自の進化を遂げ、特にセダンは2022年の大幅改良で大胆なフロントフェイスや2.4リッターターボエンジンを搭載した「スポーツ」グレードを投入するなど、積極的に商品力の強化が図られていました。
重要な違いは、米国ではクロスオーバーモデルが早い段階で「レガシィ」の名を外し、「アウトバック」という独立した車種としてブランドを確立していた点です。
2025年8月にフルモデルチェンジした7代目アウトバックを発表。米国で独自に進化したクロスオーバーSUVとして、同年後半より順次発売される予定となっています。

そのため、今回のセダン生産終了は、米国市場から「レガシィ」というブランドが完全に消えたことを意味すると言えるでしょう。
日米で異なる歴史を歩んだレガシィですが、その生産終了の背景にある理由は共通しています。
SIAが説明するように、それは「乗用車からSUVやクロスオーバーへの市場の移行と、スバルの電動化への移行」という、自動車業界全体の大きな潮流を反映したもの。
同社のスコット・ブランド社長は、最後のレガシィのラインオフに際し、「我々の歴史における重要な一章が幕を閉じましたが、我々はすでにページをめくり、新たな一章を始めています」と語りました。
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レガシィが切り開いた道は、レヴォーグやクロストレック、そしてこれから登場するであろう電動化モデルへと受け継がれ、スバルの新たな歴史を紡いでいくことになります。
Writer: くるまのニュース編集部
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