洞窟か、岩の裂け目か? 岡山県のトンネル、実は一部が鍾乳洞
大正時代の難工事で開通した道路、現在は
――トンネルの前後の県道も、崖を削りとったような区間が続きます。もともとどのような道路だったのでしょうか。
岡山県教育委員会発行の『岡山県の近代化遺産』という本には、銅山がある成羽町の吹屋地区と旧・成羽町の市街地とを結ぶ明治時代の道路を、大正時代に車両が通れるように整備してつくられたと書かれています。また、山の岩盤を「人を上から吊るし、のみでくって(編集部注:掘って)いった」とあり、難工事であったことがうかがえます。
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同書には、この道路を通じて「木材・薪炭・煙草・コンニャク・雑穀がトンネルを通って積出され、玉島・岡山・高梁などの魚介・食塩、衣類その他日用品などが荷車・荷馬車・自転車で搬入されて、大いに地域住民の生活道路として貢献した」と書かれています。
高梁市役所成羽地域局によると、現在では「県道300号線に並行して2車線の広域農道が整備されたこともあり、地元の生活道路としてはあまり使われない」そうです。「いまでは、紅葉スポットとして知られる羽山渓を観光する人が使う道路です。トンネルの前でクルマを停めて、穴小屋の鍾乳洞を見学したり、崖でロッククライミングしたりする人もいます」といいます。
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提供:乗りものニュース