トヨタの小型トラック なぜ米で「独自の進化」遂げた? アメリカ人の生活支える「ピックアップ」市民権得た理由とは
トヨタのピックアップトラック「ハイラックス」は世界で販売されるモデルですが、米国ではグローバルの展開とは異なる独自の進化を遂げています。どういった経緯で発展していったのでしょうか。
米国で独自の進化を遂げていった「ハイラックス」の歴史とは
広大な土地を持つアメリカでは大きなクルマが多く、トヨタも日本では走っていないような「巨大」ピックアップトラックを独自で現地生産し、非常に好調な売れ行きを示しています。
しかし当初は、日本と同じ小型トラック「ハイラックス」が導入されていました。独自の進化を遂げるに至った歴史を探ります。
日本の約25倍もの広い国土を持つアメリカ。道路も駐車場も広いため、クルマのサイズはおしなべて大きめです。
売れ筋モデルは、日本と同じようにSUVがメインですが、アメリカ(北米市場)が決定的に日本と違うのは、ボンネット型トラック、いわゆるピックアップトラックの比率が非常に高いことです。
2023年9月の北米新車販売データによれば、乗用車が約27万台なのに対し、ピックアップトラックを含むライトトラック(SUVを含む/ライトトラックと言っても最大積載量は4000ポンド=1815kgまで!)は約103万台も売れています。
トヨタの販売ランキングを見ても「RAV4」「カムリ」に次いで3位にピックアップトラックの「タコマ」が食い込むほどです。
北米では、ピックトラックトラックは仕事用だけでなく、パーソナルユースで使用されるケースが多いことや、燃費規制や税制での優遇、生活スタイルや文化との合致など、様々な理由でその人気を支えています。
アメリカの地を訪れたことがあるなら、ピックアップトラックがまるで日本の「軽」のように気軽な使われ方をしている様子を見たことがあるかもしれません。
トヨタにおけるピックアップトラックの歴史は1964年の「スタウト」に始まり、1968年には初代「ハイラックス」の輸出がスタートしました。
トヨタ以外でも、ほぼ同時期に日産や三菱などがこの巨大市場へ相次いで進出しています。
北米版の初代ハイラックスでは、基本的には日本向け仕様車と変わらない外観でしたが、保安基準を満たすためか、ボンネット上に方向指示器が飛び出ていたのが特徴です。
エンジンは、1.5リッターから2リッターまでの5種類が用意されました。
トピックとしては、1971年から荷台以外を日本から輸出し、カリフォルニアで荷台と合体させる最終組み立て方法を取ったことです。
これは、輸入車に課せられる高額な関税を回避する対策の一種で、5代目ハイラックスの途中までこの方法が採られました。
1972年にフルモデルチェンジを行い、2代目となったハイラックスも、初代同様に北米でも販売されました。
上級仕様「SR5」が初設定されたのもこの世代でした。
なお1973年頃から、北米市場でのハイラックスは単なる「トヨタ トラック」に変更され、1995年までその名で呼ばれていました。
昭和の時代、小型トラックと言えばダットサン。トヨタには対抗する車種がなく、当時提携してた日野自動車の日野ブリスカをトヨタブリスカとして販売。その後ハイラックスが誕生したが、時代は積載量の多いキャブオ-バ型に移り、ハイラックスの国内販売は振るわなかった。その後米国でRV車としてハイラックス4DWが爆発的に売れ、再び国内にサーフとして登場。いわばトヨタ生まれで米国育ち