伝統の「スカイライン」はどうなる!? ビッグネーム「ブルーバード」「サニー」「セドリック」はなぜ廃止されたのか

日産は2000年前後に、伝統の車名を次々と廃止してしまいました。一体なにがあったのでしょう。そして唯一残ったビッグネーム「スカイライン」は、今後どうなっていくのでしょうか。

日産最初のビッグネームは「ブルーバード」から始まった

 1950年代から1960年代に登場し、日産の躍進を支えた「サニー」「ブルーバード」などの車名も、消えてからかなりの時間が経ちました。
 
 老若男女に関わらず、国民の誰しもが知るほど有名だった「ビッグネーム」は、どうして消えてしまったのでしょうか。

日産を代表する車名のひとつだったはずの「ブルーバード」も53年で消滅しています[写真は、大ヒットを記録した6代目の日産「ブルーバード」(910形)]
日産を代表する車名のひとつだったはずの「ブルーバード」も53年で消滅しています[写真は、大ヒットを記録した6代目の日産「ブルーバード」(910形)]

 個人所有の「マイカー」が夢のまた夢だった1950年代。しかし1954年、のちに東京モーターショーに発展する「全日本自動車ショウ」が日比谷公園で初開催され、続く1955年に日本初の純国産乗用車となるトヨタ「クラウン」が、1958年には軽自動車のスバル「360」が誕生し、日本にもマイカーを所有する機運が到来しました。

 そのなかで日産は、1952年にイギリスの「オースチン」と提携してオースチン車のノックダウン生産を行い、乗用車製造の技術を取得。1955年からは「ダットサン乗用車(ダットサン110/210型)」を販売しています。

 そして1959年に発売された「ブルーバード」(310型)は、大幅に改善された操縦性や乗り心地、近代化されたデザインも相まって大成功しました。

 アメリカでも堅調な売れ行きを示し、日産が北米市場で躍進する足がかりを作ります。

 その後ブルーバードは2001年まで10世代にわたり販売され、日産を代表するファミリーカーとして多くのユーザーに愛されていました。

 しかし2000年登場の直接的な後継モデルは、サブネームがついた「ブルーバード シルフィ」という車名に(しかも車格はひとつ下のサニークラス)。

 さらに2012年には「ブルーバード」の車名が外れることになり、53年の歴史を誇ったビッグネームのブルーバードはここに終了しました。

【画像】もはや「懐かしい」! 往年の「日産ビッグネーム」を写真で見る(63枚)

【2023年最新】自動車保険満足度ランキングを見る

画像ギャラリー

1 2 3 4

新車不足で人気沸騰! 欲しい車を中古車でさがす ≫

【NEW】自動車カタログでスペック情報を見る!

最新記事

コメント

本コメント欄は、記事に対して個々人の意見や考えを述べたり、ユーザー同士での健全な意見交換を目的としております。マナーや法令・プライバシーに配慮をしコメントするようにお願いいたします。 なお、不適切な内容や表現であると判断した投稿は削除する場合がございます。

4件のコメント

  1. スカイラインをなくしたら日産はオワコンの始まり。

  2. 寂しいです。サニー、ブルーバード、マキシマ、ローレル、セフィーロ、セドリック、グロリア、シーマ、プレジデントが消滅される何て、何共、思っていませんでした。ヤッパッ❗️カルロス・ゴーンが、入ったせいか、中国の影響でしょうねェ~ッ❗️許センッ❗️カルロス・ゴーンッ❗️日産の軽、コンパクト、スポーツ&スペシャリティ、SUV、バン、トラック、スカイラインセダンだけでは、モノ足りないし、何れ、日本の日産のセダンを復権・復活も、大事です。

  3. もしもコロナ禍にトヨタが、コロナを継続していたら、販売にどんな影響が有ったのか気になりますね。

  4. 今年中に、カルロス・ゴーンが、金融商品取引法、レバノン逃亡等で、再び逮捕され、日産自動車の資金が、戻って来る可能性が高いと言われています❗️❕日産自動車の開発費ま必要です。46年前、アメリカのクルマ達がオイルショックで、ボディサイズが大幅にサイズダウン化されています。アメリカのGMと同じ様に、シボレー・カプリース、シボレー・インパラ、シボレー・マリブの車名が久々に復帰されてます。今後共、日産のセダンも、久々に帰って来る事を祈っています。 スカイラインセダンだけでは、モノ足りないし、順次、ショーファーから、フラッグシップ、アッパーミドル、ミドル、コンパクト、サブコンパクト迄である、日産のセダンの新車が発売されるのを楽しみにしています。期待しています。日産のセダンより。

メーカーからクルマをさがす

国産自動車メーカー

輸入自動車メーカー