発売間近だった!? 幻の「和製スーパーカー」日産「MID4(ミッドフォー)」が今みても「凄っ!」
日産はかつて、スーパースポーツカーのコンセプトモデル「MID4」を東京モーターショーに出展しました。現実味の高い仕上がりで市販化も噂されていた、幻の「和製スーパーカー」について振り返ります。
ショーカーだけど実現性高そう! 妙にリアルな感じだった日産「MID4」
日産が東京モーターショーに相次いで参考出品したスーパーカー「MID4(ミッドフォー)」と「MID4 II(ミッドフォーツー)」。もし市販化されていれば、世界のスポーツカーの歴史を動かしていたかもしれません。
改めて見ても「凄っ!」と驚かされる、和製スーパーカーについて紹介します。
1985年秋、日産はプロトタイプ車両であるMID4を、ドイツ・フランクフルトモーターショーと第26回東京モーターショーに相次いで出展しました。
乗員の後部にエンジンを横置きし、後輪を駆動させるミッドシップ(MR)レイアウトを採用した2人乗りのスポーツカーです。
ショーモデルとはいえ、非常に現実的な内外装の仕立てでした。
搭載されるのは3リッター V型6気筒「VG30DE」型DOHC 自然吸気エンジン。翌1986年「レパード」や「フェアレディZ」に採用された最新鋭のものを、参考出品という形で初公開しています。
車名の「4」は四輪駆動を意味し、当時のスーパースポーツカーとしては珍しいフルタイム4WDを採用し、四輪操舵システム「HICAS(ハイキャス)」と組み合わされました。
車体外板にはFRPを採用し、デザインの自由度を高めているといいます。
当時を知る日産関係者は次のように話します。
「もともとは、世界ラリー選手権(WRC)参戦に向け、当時新設される予定だった新カテゴリ向けに開発されたプロトタイプ車両が発端でした」
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MID4初公開から2年後の1987年10月に開催された第27回東京モーターショーでは、1985年出展モデルとは全く別のMID4(通称MID4 II)を参考出品します。
ボディサイズは全長4300mm×全幅1860mm×全高1200mm、ホイールベースは2540mmです。
2代目MID4 IIはアルミボディ化され、フォルムも流麗なものに一新されました。当時の資料によると車両重量は1400kgと記載されており、軽量化にも配慮されていたようです。
搭載されるパワートレインも、最高出力330ps、最大トルク39.0kgf-m(382Nm)を発揮する3リッター V型6気筒「VG30DETT」型DOHC インタークーラー付ツインターボエンジンへと大幅にパワーアップされたほか、エンジンレイアウトも、イタリアのスーパーカーが採用する本格的な縦置き式へ変更されています。
駆動方式は、ビスカスカップリング付センターデフ式フルタイム4WD。サスペンションは前がダブルウィッシュボーン式、後ろが新開発のマルチリンク式で、HICASと組み合わされます。
当時の日産はMID4 IIについて次のように説明しています。
「(MID4は)運動性能を追求することを目的とした研究実験車として、実用レベルの最高技術を結集してレベルアップを図り、動力性能、高速時の操縦性・走行安定性、旋回性能などハイレベルの運動性能を実現しています」
MID4 IIは走行可能な車両が複数用意され、実際に試験走行も実施したほか、専門自動車雑誌に向けた試乗会を開催しています。初代以上に現実味の高い仕上がりから、市販化の噂もかなり盛り上がりをみせました。
前出の関係者によれば実際に社内で検討も行われたようですが、結果として市販化計画は中止となっています。
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当時トヨタは、1984年にミッドシップスポーツカー「MR2(エムアールツー)」を発売したばかり。
その後ホンダも1989年、V型6気筒エンジンを積んだ「アキュラ NS-X」をモーターショーに出展、1990年には「NSX」名で市販化するなど、各社がMRレイアウトのスポーツカーに取り組んでいた時代でした。
スーパースポーツカーのカテゴリーにホンダとして初参戦したNSXは、フェラーリやポルシェといった世界の名だたるブランドと互角の戦いを繰り広げています。
さらにここに日産が参戦していれば、その後のスーパースポーツカーの勢力図にも、少なからず影響を与えていたかもしれません。
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