スズキが「47万円」の新車を販売!? 誰もが驚く低価格設定… 初代「アルト」はなぜ成功したのか
常識外れの特徴をいくつも備えた初代「アルト」
1979年5月に発売となった初代アルトは、大ヒットします。
しかも、初代モデルだけでなく、現在に至るまでアルトは売れ続けており、2016年12月には国内累計販売台数500万台を突破。スズキの歴代ラインナップで、累計販売台数トップとなっています。
しかもアルトは、日本だけでなく、より大きなエンジンを搭載してインドをはじめ世界中で発売。スズキを支える大黒柱のひとつという存在になりました。
では初代アルトは、なぜ、それほど成功したのでしょうか。
当時のスズキは、業界でも後ろから数えたほうが早い存在でしたし、新エンジンの開発に失敗するなど、技術的に優れていたわけでもありません。
しかし、若き鈴木修社長の肝いりの新型車としてアルトには、それまでの常識を覆す工夫が数多く採用されていたのです。
その最大の特徴は、低価格であったところです。当時の軽自動車は新車価格60万円台が標準的でした。
しかし、初代アルトの発売価格は47万円。鈴木修社長が開発陣に「コストダウンのためにエンジンを取ったらどうだ」とまで迫ったのは有名な話です。
もちろんエンジンなしでクルマは走ることはできません。しかし、それだけ極端な要求に開発陣が本気を出したというわけです。
ちなみにコストダウンをしまくった初代アルトの内容は質素そのもの。後席の座席はべニア板で作られていたというから驚くばかりです。

また、初代アルトは乗用車ではなく商用車として発売されました。現在の「スペーシアベース」やホンダ「N-VAN」のような存在です。
当時の乗用車には15%-30%もの物品税がかかっていました。
まだクルマは贅沢品として見られていたのです。しかし、商用車の物品税はゼロ。これも初代アルトのお買い得度をアップさせます。
さらに初代アルトは、47万円を全国統一価格としました。これは全国初の試みでした。
当時は、生産した工場より離れるほどに、輸送費がかかるため地域によって販売価格が異なっていましたが、それでは「47万円!」と全国に向けて広告することができません。
しかし初代アルトであれば問題ありません。テレビCMでもガンガンと「47万円」という安さをアピールすることができたのです。
こうした数々の新しい工夫の結果、初代アルトは大ヒット。それに合わせてスズキは、軽自動車市場でのナンバー1の地位を獲得します。
そして、アルトで得た儲けを使って生産設備を刷新し、さらには海外へ進出する力を蓄えてゆくのです。
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インドやハンガリーなどで世界進出を果たしたスズキは、世界でも有数の自動車メーカーに成長します。
2021年のスズキの世界の年間販売台数は約282万台でした。これは100万台から200万台のマツダやスバルを上回り、200万台前半のBMWをも上回る数字です。
そうした現在のスズキがあるのも、1979年に大ヒットした初代「アルト」の存在を抜きに考えることができないでしょう。
Writer: 鈴木ケンイチ
1966年生まれ。國學院大学経済学部卒業後、雑誌編集者を経て独立。自動車専門誌を中心に一般誌やインターネット媒体などで執筆活動を行う。特にインタビューを得意とし、ユーザーやショップ・スタッフ、開発者などへの取材を数多く経験。モータースポーツは自身が楽しむ“遊び”として、ナンバー付きや耐久など草レースを中心に積極的に参加。見えにくい、エンジニアリングやコンセプト、魅力などを、分かりやすく説明するように、日々努力している。最近は新技術や環境関係に注目。年間3~4回の海外モーターショー取材を実施。




































