1988年デビューの車とは!? 日産初代「シーマ」と同時期にデビューしたバブリーな車3選
2022年3月31日に、現行モデルの日産「シーマ」が今夏で生産終了と報じられました。シーマといえば、バブル期の1988年にデビューし、好景気を背景に一世を風靡。そこで、初代シーマとともに1988年にデビューしたバブリーなクルマを、3車種紹介します。
初代シーマと同時期にデビューしたバブリーなクルマを振り返る
新聞各紙と自動車メディアは2022年3月31日に、現行モデルの日産「シーマ」が今夏で生産終了と報じました。また、同時に「フーガ」と「スカイライン ハイブリッド」も生産終了になるとのことです。
報道によると、生産終了となる理由は騒音規制に適合しないということで、改良によって対応するコストの回収が困難という経営判断があったとみられます。
シーマは日本が好景気に湧いていた1988年に誕生し、翌1989年に施行された自動車税の改訂も後押しして、高額な高級車ながらヒットを記録。同時期に他メーカーの高級車も好調なセールスを記録したことをあわせ、後に「シーマ現象」と呼ばれた社会現象にまでなりました。
この1988年には、ほかにも好景気を背景にした特徴的なクルマが登場。そこで、1988年発売のバブリーなクルマを、初代シーマとあわせて3車種ピックアップして紹介します。
●日産初代「シーマ」
初代シーマは1988年1月に誕生。販売チャネルの違いによって正式な車名は「セドリックシーマ」と「グロリアシーマ」でした。
プラットフォームはY31型セドリック/グロリアをベースとし、ボディは3ナンバー専用の4ドアピラーレスハードトップを採用。
ボディサイズは全長4890mm×全幅1770mm×全高1380mm(タイプIIリミテッド)のロー&ワイドなフォルムで、全長の長さを活かした伸びやかでスタイリッシュなデザインとなっていました。
内装は比較的シンプルなデザインながら快適装備は充実し、当時普及が始まったばかりの高額な自動車電話もオプション設定されるなど、バブル景気ならではといえました。
グレード構成はエンジンの違いと装備によって「タイプI」「タイプII」「タイプII-S」「タイプIIリミテッド」の4タイプを展開。
上位グレードのタイプII-S/タイプIIリミテッドに搭載されたエンジンは、最高出力255馬力を発揮する新開発の3リッターV型6気筒DOHCターボ「VG30DET型」で、V型6気筒DOHCターボエンジンはシーマが日本車では初めて搭載。トランスミッションは全グレードとも4速AT、駆動方式はFRの2WDのみです。
スタイリッシュでラグジュアリーなモデルとは裏腹に、ターボエンジン搭載車は車重1640kg(タイプIIリミテッド)の重量級ボディをものともしない驚異的な加速力を発揮。
アクセルを大きく踏み込んだゼロ発進加速では、リアサスペンションを大きく沈ませた姿勢となり、そのままの姿勢で加速する姿がシーマの特徴的な加速シーンでした。
その後、1991年に2代目(車名を「シーマ」に改名)が登場。初代はヒット作だったにも関わらず販売期間は3年半ほどと、意外と短命なモデルといえました。
●マツダ「ペルソナ」
前述のとおりバルブ期には新世代の高級車が登場してヒット作となりましたが、そうした背景からマツダは1988年に、「カペラ」をベースとした高級志向の4ドアピラーレスハードトップセダン「ペルソナ」を発売しました。
外観は全体的にラウンドしたフォルム、Bピラーを排除したことから開放感がある斬新なデザインのキャビンを実現しました。
ボディサイズは全長4550mm×全幅1695mm×全高1335mmと現在の水準ではコンパクトですが、巧みなデザインによってワイド感が強調されていました。
そしてペルソナ最大のトピックスは内装で、非常に贅沢かつ凝ったつくりとなっており、高級感を演出するラウンジソファータイプのリアシートや、シートやトリムの半分以上をレザー張りとしたグレードを設定。
また、ダッシュボードのデザインを優先するために、グローブボックスや灰皿を排除する徹底ぶりでした。
搭載されたエンジンはカペラと同じ1.8リッターと2リッター直列4気筒で、2リッター車は最高出力140馬力と同クラスでは標準的なスペックでしたが、「シルキースムース」と表現されたほどドライブフィールにもこだわっていました。
ペルソナは高級感を演出していましたが高価なクルマではなく、本革仕様の「B」グレードでも171万円からと戦略的な価格設定でした。
しかし、バブル崩壊とともに高級志向のニーズも薄れ、販売は低迷し、ペルソナは1992年に一代限りで生産終了となりました。
●ホンダ初代「アコードクーペ」
ホンダは1982年に、他の国産メーカーに先駆けてアメリカに工場を設立し、2代目「アコード」の生産からスタートしました。
そして、北米市場のニーズにマッチしたモデルとして、1987年に3代目アコードをベースとした初代「アコードクーペ」を発売。
アコードクーペは日本車では初の試みとして、企画・開発・生産をすべてアメリカ法人でおこなったモデルで、内外装のデザイン、装備の選択、サスペンションのセッティングなどがアメリカホンダ独自の仕様とされました。
その後、アメリカでの発売の翌年1988年に、日本でも左ハンドルのまま輸入して販売を開始しました。
直線貴重でスタイリッシュなクーペボディは、リトラクタブルヘッドライトのフロントフェイスと相まってシャープな印象でした。
また、内装には本革を使ってゴージャスに演出し、BOSE製のハイエンドオーディオシステムを装備するなど、アメリカらしさを感じさせる華やかな1台に仕上がっていました。
搭載されたエンジンは最高出力120馬力の2リッター直列4気筒SOHCで、トランスミッションは4速ATのみと、走りの面はツーリング性能を重視。
初代アコードクーペは一定の人気を集め、1990年には2代目、1994年には3代目へとモデルチェンジし、1997年に販売を終了し、4代目以降は輸入されませんでした。
同時期のホンダ車には同様なセグメントと価格帯、スタイリングも似た3代目「プレリュード」があったにも関わらず、アコードクーペの販売に踏み切ったのは、まさにバブル景気ならではといえるでしょう。
※ ※ ※
日産は1988年に初代シーマ以外に「S13型 シルビア」と初代「セフィーロ」、1989年に「Z32型 フェアレディZ」「R32型 スカイライン」、1990年には初代「プリメーラ」と、次々とヒット作を発売しました。
しかし、当時の日産は過剰な設備投資と高騰した開発費によって、バブル期ながら経営状況は下降傾向にあり、1990年代末の経営危機につながったきっかけとなりました。
時代の寵児としてもてはやされた初代シーマでしたが、まさに日産の「光と影」を象徴する1台だったといえるでしょう。
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