名車じゃないかもしれないけど!? 実はスゴいことを成し遂げていた車3選

これまで誕生したクルマのなかには、日本の自動車史に燦然と輝くような名車があります。しかし、名車とは呼ばれないようなクルマでも、後世に語り継がれるような足跡を残したモデルも存在。そこで、実はスゴいことを成し遂げていたクルマを、3車種ピックアップして紹介します。

名車ではなくても記録や記憶に残るクルマを振り返る

 日本の自動車史で燦然と輝く名車というと、古くはトヨタ「2000GT」や日産初代「フェアレディZ」、「スバル360」、ホンダ「N360」、マツダ「コスモスポーツ」、いすゞ「117クーペ」などが挙げられます。

ジツは日本の自動車史に残るようなスゴいことを成し遂げたクルマたち
ジツは日本の自動車史に残るようなスゴいことを成し遂げたクルマたち

 こうしたクルマは人々の記憶に焼き付き、そしてこれからも語り継がれる存在といえます。

 しかし、名車と呼ばれるクルマは決して多くありません。毎年、たくさんの新型車が登場し、これまで膨大な数のクルマが誕生しましたが、そのほとんどは後に注目されることはありません。

 ところが、決して名車ではなくても、しっかりと足跡を残しているモデルも存在しました。

 そこで、実はスゴいことを成し遂げていたクルマを、3車種ピックアップして紹介します。

●トヨタ8代目「クラウン」

シリーズのなかでも空前のヒット作となった8代目「クラウン」

 1980年代の終わりから1990年代初頭にかけて、日本は未曾有の好景気にわいていました。いわゆる「バブル景気」で、土地や株の価格が上がり、自動車業界も潤って数多くの優れたクルマが誕生しました。

 そのなかの1台が1988年に発売された日産の高級セダン、初代「セドリックシーマ/グロリアシーマ」(以下、シーマ)で、国民の上流意識の高まりから高額なセダンとしては異例のヒットを記録。

 それに追従するかたちでトヨタも1989年に初代「セルシオ」を発売し、同じくヒット作となり、後に高級セダンが飛ぶように売れたことを「シーマ現象」と呼ぶようになりました。

 実はこのシーマ現象の最中にもっとも輝いていたといえるのが、両車に先立って1987年に登場した8代目「クラウン」です。

 8代目クラウンは4ドアハードトップに3ナンバー専用のワイドボディがラインナップされ、トップグレードの「ロイヤルサルーンG」は「ソアラ」などと同型の3リッター直列6気筒DOHCエンジンを搭載し、さらに、1989年にはセルシオに先行して4リッターV型8気筒DOHCエンジンを搭載した「4000ロイヤルサルーンG」を追加。

 1989年から3ナンバー車の自動車税軽減が施行されると、1990年には2.5リッター直列6気筒DOHCエンジン搭載車が加わるなど、素早くニーズをキャッチアップしていました。

 デザインも洗練されており、やや丸みを帯びたフォルムは重厚な雰囲気を抑えつつも高級感を醸していました。

 シーマやセルシオと異なり、8代目クラウンはビジネスユースから高級パーソナルカーまで幅広いユーザーに対応するモデルというアドバンテージもあり、1990年には歴代クラウンで最高となる年間約24万台(シリーズ累計)を販売。

 クラウンが月間平均2万台も売れることは今では考えられませんが、当時はそれほどまでに好景気で、セダン人気が高かったということでしょう。

 ちなみに、1990年の販売台数トップ3は1位が「カローラ」、2位が「マークII」、3位がクラウンでした。

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●ダイハツ「シャレード」

ダイハツの技術力がギュッと詰まったコンパクトカーだった「シャレード」

 国内でも屈指の老舗自動車メーカーであるダイハツは、戦後の高度成長期に3輪軽トラックの「ミゼット」を発売し、個人商店の物流を支える存在として大ヒットを記録しました。

 その後、本格的な乗用車メーカーとなり、軽自動車とともに小型車を開発し、1977年に次世代のFFコンパクトカー、初代「シャレード」が誕生しました。

 今では軽自動車から小型車まで広く普及している4サイクル3気筒エンジンですが、シャレードに搭載された1リッター3気筒SOHCエンジンが世界初でした。

 当時はオイルショックの影響から省エネブームという背景があり、1リッターエンジンの優れた経済性からシャレードは大ヒットを記録。

 さらに1983年に登場した2代目では、乗用車用としては世界最小排気量(当時)の1リッター3気筒SOHCディーゼルエンジンを搭載した「シャレードディーゼル」が登場しました。

 そもそもディーゼルエンジンはシリンダーの直径(ボア)が大きいほど燃焼には有利で、小排気量化には向いていないにもかかわらず、果敢にチャレンジしたダイハツは開発に成功したのです。

 しかし、最高出力は38馬力(グロス、以下同様)と非力だったことから、翌1984年にはターボディーゼルエンジン車が登場して、最高出力50馬力を発揮。

 ガソリン車が55馬力でしたから出力は肉薄し、自然吸気モデルから約5割増ししたトルクはガソリン車を凌駕して、実用域の走行性能が飛躍的に向上しました。

 その後、シャレードはダイハツ製登録車の主力として代を重ね、2000年に4代目をもって歴史に幕を下ろしました。

 なお、今では排出ガス規制の強化によって小排気量ディーゼルエンジンはコスト的に不利な状況なため、現行モデルではマツダやミニの1.5リッターが最小です。

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●日産「サニートラック」

実用的な商用車としても異例のロングライフだった2代目「サニートラック」

 現在、国内で販売されているピックアップトラックはトヨタ「ハイラックス」だけになってしまいましたが、かつては各メーカーから数多くのピックアップトラックが販売されていました。

 ハイラックスのような4WDピックアップトラックはレジャー用途が中心ですが、本来は小口の荷物を運搬する「働くクルマ」であり、その代表的なモデルが1967年に誕生した日産「サニートラック」です。

 1966年に誕生した大衆車の初代「サニー」はあらゆるニーズに対応するため、2ドア/4ドアセダン、2ドアクーペ、2ドアライトバンと複数のボディラインナップを展開し、乗用車ベースのトラックが加わったのも当時としては珍しくありませんでした。

 その後、1970年に2代目サニーへフルモデルチェンジすると、1971年にはサニートラックも2代目が登場。

 ボディは2人乗りシングルキャブのモノコックシャシで、最大積載量500kgの標準ボディとロングボディの2タイプが設定されました。なお、キャビンよりも前は基本的にセダンと共通のデザインでした。

 エンジンは最高出力68馬力の1.2リッター直列4気筒OHV「A12型」で、A型はレースでも盛んに使われ、後に名機と呼ばれたエンジンです。

 その後、1973年に3代目サニーがデビューしてもサニートラックは2代目のまま販売を継続し、マイナーチェンジがおこなわれつつ1994年まで販売されました。

 商用車のモデルライフは長いのが一般的で、サニートラックが22年間フルモデルチェンジせずに販売されたこと自体は、それほど珍しいケースではありませんでした。

 ところが、日本で生産を終えたはずのサニートラックは、南アフリカで「バッキー1400」という車名で現地生産によって販売が継続し、2008年に後継車の「NP200」にスイッチするまで生産され、日本での誕生から実に37年間も生産されたことになります。

 なお、サニートラックは現存数も多く、クラシカルなデザインや小型FR車ということもあり、今も趣味のクルマやチューニングベースとして数多くのファンに愛されています。

※ ※ ※

 最後に紹介したサニートラックが37年間も生産されたのは驚異的なことですが、それをさらに上回るのがトヨタ「ランドクルーザー 70」です。

 ランドクルーザー 70は1984年に誕生し、国内では2004年に販売終了となりましたが、海外専用モデルとして生産が続けられており、フルモデルチェンジしないまま2022年で生誕38周年を迎えます。

 フロントセクションの大幅なデザイン変更やエンジンも飛躍的に進化していますが、基本的な構造は変わっておらず、ハイテクな装備も搭載されていません。

 これもひとえに、ランドクルーザー 70の基本設計が優れていることの証といえるでしょう。

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