【単独インタビュー】ポンタス・ヘグストロム氏に聞くFCAとPSAの近未来(後編:新型車とEVはどうなる)
FCAジャパン代表取締役社長であるポンタス・ヘグストロム氏が、グループPSAジャパンの代表取締役社長も兼務することになって1か月以上が経った。FCA、PSAともに日本での販売は好調をキープしているが、今後どのような新型車がリリースされ、そしてステランティスのEV化について質問してみることにした。
EVになっても、各ブランドの“らしさ”は失われない
個性的なブランドを擁するステランティスだが、ジープやプジョー、シトロエンなど、日本における販売は好調である。そこで気になるのは、今後どのような新型車が日本に導入されるのかであろう。自身もカーガイとして知られている、FCAジャパンとグループPSAジャパンの代表取締役社長を兼務するポンタス・ヘグストロム氏に、ステランティスのEV化と合わせて伺ってみた。
●すべてのブランドに新型車を導入
──既存の7つのブランドそれぞれについて、可能な範囲で構わないので今後のラインナップ展開を教えてください。クルマ好きの皆が気になってることだと思います。
「その質問は必ずあるだろうと思っていました(笑)。確実に申し上げられることとしては、私達の7ブランドのうちのほとんど全てに、来年の第一四半期の末、つまり2022年3月末までの間に何らかの新しい製品のニュースがあります。3つのフレンチ・ブランドは、今年中に新製品のお知らせをお届けできるでしょう。
フィアット500のEVに関しては、今、日本国内でテストをしています。もともとは今年のうちに日本でもローンチしたいと熱望していたのですが、パンデミックと半導体の問題で生産状況に遅れが生じてしまっていて、来年の初めにずれ込むことになりました。
ジープに関しては、『グランドチェロキー』を今年中に持ってこようと思っています。それにちょっと変わり種の『ラングラー』というのを、デリバリーは来年になると思うんですけれども、今年中に持ってくる予定があります。これも本当は年内に導入したかったんですけど、チンクエチェントEVと同じ理由で遅れてしまいました。
アルファ ロメオの『ジュリアGTA』と『GTAm』については、今年中に日本に入ります。日本からのオーダーが88台とかなり多かったので、その全てを年内に上陸させられるわけではないのですけれど、初期ロットは今年中に入ってきて、来年にかけて全車を納車していくかたちになりますね」
──本国の方では物凄い勢いで様々なことがスピーディーに動いてますよね。たとえばそれぞれのブランドのトップが変わったり、チーフ・デザイナーが変わったり。
「おっしゃるとおりです。本国側での動きは大きいし、凄いスピードだと思います。ただ私が内部から見ている限りでは、それはブランドの個性を強化するためのもの、ブランドの可能性を広げるためにおこなってること、というふうに感じています。先日、“EV Day 2021”というクルマの電動化に関する発表イベントがあったのですが、たった6か月で非常に豊かな内容のプランを組み立てて発表したことには、私自身も驚かされました。
●それぞれのブランドの電動化はどうなる
──電動化の計画にはアバルトも組み込まれてましたね。熱心なファン達のなかでは、電動化にマッチしないからアバルトというブランドは消滅するのではないか? という不安の声が出てましたね。
「それをいってしまうと、ほかにも消えるブランドがあるということになりますよね(笑)。似たようなことはジープに関してもいわれていたことで、アメリカのジープ・ファンは“プラグインハイブリットなんかにしたらジープのキャラクターが失われてしまう”と不安をお持ちだったようです。けれど発売して数か月経った現在、“ラングラーのプラグインハイブリットは凄くいいね”とか“より一層ラングラーになったね”というふうに見方は変わってきています。なぜなら静寂のなかでトルクがあって、駆動の制御も細やかで、実際にラングラーとしての性能やキャラクターがより強化されているからです。ファンの皆さんが予想していた期待値を、クルマの出来映えが遙かに上回っていたからです。
それと同じようなことがアバルトにも待っているんじゃないかと私は期待しています。アバルトは、アバルトのまま生き残りますよ。個人的なことを申し上げると、アバルトのようなブランドは電動化に対してそんなに先陣を切るようなことをしなくてもいい、とは思ってるんですけどね」
──やはりヘグストロム社長は根っからのクルマ好きですね(笑)。以前にスタッフの方から、社長はかなりのカーガイだとうかがったことがあります。クルマはいつ頃からお好きだったのですか?
「物心がついたときにはすでに(笑)。私の父は大学を卒業してからフォードのディーラーで働き始めて、父の方こそ仕事の上ではクルマ一筋でした。父と私は、家ではいつもクルマの話ばかりしていましたよ。私の最初のクルマの記憶というのは、父の1968年のフォード『マスタング・コンバーティブル』。赤いクルマでした。私はその頃まだ子供でしたから、なんて大きなクルマなんだろう、と思ってました」
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