世界初の「GT」&市販車初「V6」はランチアだった! 「アウレリア」は一体どんなクルマだった?
V6エンジンを市販車に持ち込んだのはランチアだった
1950年に、まずはベルリーナ版の「B10」から発表された「アウレリア」こそ、ヴィットリオ・ヤーノが最後の直弟子ともいうべきフランチェスコ・ディ・ヴィルジリオとともに手掛け、とくに市販車として集大成となったマスターピースである。さらにいえば、ランチア社にとっても戦前の「ラムダ」と「アプリリア」に続く、第3の傑作となった歴史的モデルでもあるのだ。
●V6エンジンを市販車に最初に使ったのはランチアだった
ランチア・アウレリアは、アプリリア以来のトランスアクスル式ドライブトレインを介して後輪を駆動するレイアウトを持っていた。そのパワーユニットは、市販車として世界で初めて採用されたとされるV6エンジンであり、バンク角60度のV型6気筒OHVである。
OHVというと、前任にあたるアプリリアのSOHCからは後退したかのようにも感じられるが、ことアウレリアのV6エンジンについていえば、その認識は誤りである。
一般的な半球形燃焼室では、吸/排気バルブが左右V型に配置されるが、ヤーノは複雑な形状のロッカーアームまで介してわざわざ90°回転させ、前後V型に配置してしまうという特異な手法を採っていたのだ。
ヤーノは同じ手法を、1939年発表の小型車「アルデア」で初採用していたが、その目的はシリンダーヘッドを小型化することにあり、それにはヘッドにカムシャフトが配置されるOHCは不都合と考えたようなのだ。
もうひとつの重要な特徴は、ギアボックスとクラッチ、デファレンシャルを一体化してリアに置いた「トランスアクスル」を採用していたことである。
またラムダ以来の伝統どおり、フレーム/ボディはフルモノコック。スライディングピラー式独立懸架のフロントサスペンションも、かつてのランチアの技術的常道が踏襲されたものだったが、特にアウレリアでは、初めて後脚にもディ・ヴィルジリオが設計したセミトレーリングアーム式独立懸架が採用されることになった。これは、ロードホールディングの確保のためである。
さらに、リアのドラムブレーキはバネ下重量を低減するインボード式とされるなど、アウレリアというクルマは、時代の常識を遥かに超えた新機軸が満載されたクルマだったのだ。
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