世界中で愛されるマツダ「ロードスター」 初代はなにがすごかったのか?

快適で、手の届く価格のスポーツカー

 しかも、初代ロードスターは重量だけでなく、価格も軽かった。

マツダ初代「ロードスター」SRリミテッドのインパネ
マツダ初代「ロードスター」SRリミテッドのインパネ

 ベーシックグレードの価格は約170万円。誰もが手の届く価格設定であったのだ。そのため価格を下げるために灰皿(当時は標準装備)やエアコンなど、あちこちの部品は、旧型の他車種から流用されていた。内装の質感も、けっして褒められるほど高くはなかった。

 また、見落としされがちだが、初代ロードスターはオープンカーとしては利便性が良かった。

 幌からの水漏れはほとんどなく、開閉も非常に簡単。乗員2人のカバンを詰め込めるだけのトランク容量も確保されていた。

 今となっては当たり前かもしれないが、1980年代のオープンカーは絶滅危惧種で、当時あったオープンカーのほとんどが1960年代の基準のもの。幌の雨漏りや脱着に手間がかかるのは当たり前で、トランク容量がほとんどないというクルマも数多く存在していた。

 しかも、スポーツカーでありながらも、ロードスターは、きちんとしたエアコンもカーオーディオも装着されていた。旧世代のオープンカーと比べると、その快適性は雲泥の差であったのだ。

 さらに、初代ロードスターには、“自分で整備ができる”という特徴もあった。マツダの開発陣は、スポーツカーの定義のひとつとして「自分で整備する」という項目も想定していたのだ。

 そのため、足まわりやエンジン関連に使われるボルト&ナットの多くはサイズなどが共通化されていた。そして、そうした手の入れやすさは、カスタムの隆盛も生み出した。マツダだけでなく、市井のカーショップなどが、アフターパーツを数多く販売するようになった。こうしたカスタムの豊富さも、初代「ロードスター」の人気を高めたのだ。

 そうした初代ロードスターの人気は、世界各地にオーナー同士のファンクラブを生み、ファン・イベントも数多く開催されるようなる。

 つまり、初代ロードスターは、クルマを購入して運転を楽しむだけでなく、「自ら整備する楽しみ」、「自分だけの1台を作り上げるカスタムの楽しみ」「同好のオーナー同士の交流の楽しみ」という、おまけまでついていたのだ。

 しかも、ロードスターが素晴らしいのは、そうした基本コンセプトが、第2世代、第3世代、そして現行の第4世代まで、ブレずに継承されたことにある。だからこそ、堅調に売れ続け、累計生産台数100万台という数字に届いたのだろう。

マツダ・ロードスター のカタログ情報を見る

【画像】世界に誇る名車!マツダ初代「ロードスター」をチェック(20枚)

【特設サイト公開中】マツダの今を、徹底取材。

画像ギャラリー

Writer: 鈴木ケンイチ

1966年生まれ。國學院大学経済学部卒業後、雑誌編集者を経て独立。自動車専門誌を中心に一般誌やインターネット媒体などで執筆活動を行う。特にインタビューを得意とし、ユーザーやショップ・スタッフ、開発者などへの取材を数多く経験。モータースポーツは自身が楽しむ“遊び”として、ナンバー付きや耐久など草レースを中心に積極的に参加。見えにくい、エンジニアリングやコンセプト、魅力などを、分かりやすく説明するように、日々努力している。最近は新技術や環境関係に注目。年間3~4回の海外モーターショー取材を実施。

1 2

実績500万人超!お得に車売却(外部リンク)

新車不足で人気沸騰!欲しい車を中古車で探す

【NEW】自動車カタログでスペック情報を見る

【2025年最新】自動車保険満足度ランキング

最新記事

メーカーからクルマをさがす

国産自動車メーカー

輸入自動車メーカー