世界中で愛されるマツダ「ロードスター」 初代はなにがすごかったのか?
バブル景気に湧いた1989年に初代が登場。以来マツダ「ロードスター」は、2シーターのライトウエイトオープンスポーツカーとして生産台数世界一というギネス記録を続けている。現行型は4代目となるロードスターだが、32年前に登場した初代はどんなモデルだったのだろうか。あらためて考えてみた。
徹底してライトウエイトスポーツのコンセプトにこだわった
現在のマツダのラインナップのなかで、「ロードスター」は特別な存在感を放っている。
販売台数は、世界市場で年間およそ3万台、国内市場で4000台から5000台という、わずかな数字だ。しかし、マツダのブランド・アイコンともなった「Zoom Zoom」や「人馬一体の走り」は、そもそもロードスターに用意されたもの。それが、いつの間にかマツダ全体を表すようになった。
つまり、マツダのスポーティなイメージの根源をなすのがロードスターなのだ。
ロードスターの歴史は、1989年の初代モデルに始まる。発売すぐに、日本だけでなく欧州やアメリカでも大人気モデルとなり、11年後となる2000年5月には「2人乗り小型オープンスポーツカー生産累計世界一(53万1890台)」を達成。
生産累計台数は、その後も追従をゆるさず、世界一の記録を伸ばし続け、2016年には100万台という他を寄せ付けない大記録を樹立している。また、現行の4代目モデルは「2015−2016日本カー・オブ・ザ・イヤー」と「ワールド・カー・オブ・ザ・イヤー」のダブルで受賞。世界中で獲得した賞は200を軽々と超えている。
じつのところ、初代ロードスターが誕生した1980年代当時は「転倒したときの危険があるから、2人乗りのオープンカーは消えてなくなる存在」と考えられてきた。しかし、そうした風潮を初代ロードスターのヒットが打ち消し、逆に「2人乗りオープンカー」の流行を生み出したのだ。
では、そんな初代ロードスターが、なぜそれほどまでに人気を集めたのだろうか。
その根底にあるのが「ライト・ウェイト・スポーツ」というコンセプトの徹底だ。
“スポーツカー”という定義は意外にあいまいで、人それぞれの思うスポーツカー像は千差万別だ。速さ=スポーツカーと考える人もいるだろう。日本の誇る日産「GT-R」や世界的に人気のポルシェ「911」は、そういった考えに沿ったものといえる。
しかし、絶対速度が遅くとも、クルマを操る楽しさをスポーツとする考えもある。それが英国発祥の「ライト・ウェイト・スポーツ」という考えだ。ロードスターは、そうした考えの元から生まれたクルマであった。
だからこそ、エンジンの排気量は小さく、馬力もささやかなものとなった。初代ロードスターのエンジン排気量は1.6リッターで、最高出力は120馬力。これは同時代にデビューした、日産「フェアレディZ(Z32型)」や「スカイラインGT-R(R32)」の280馬力、ホンダ「インテグラ」の160馬力にも遠く及ばなかったのだ。
パワーがないかわりに、初代ロードスターは、ハンドリングが良かった。その理由は、「1トンを下回る車両重量の軽さ」「前後ともダブル・ウイッシュボーンという古典的だが、スポーツカーの基本となるサスペンション形式の採用」「エンジンからトランスミッション、後輪のデフまでを、PPF(パワー・プラント・フレーム)というアルミの骨組みでつないだ」などの工夫があったからだ。
よくパワーを使いきる楽しさと言うけれど歯みがき粉のチューブは最後は歯痒いよなw
初代は偉大だけど二代目の進化も偉大な一歩だよ