大衆車でもカッコイイ! スタイリッシュボディのベーシックカー5選
大衆車でもおしゃれに着飾ったモデルとは!?
●ホンダ「シビックカントリー」
ホンダは1972年に新世代の大衆車である初代「シビック」を発売。今の軽自動車ほどのコンパクトボディながらFFを採用したことで広い室内を実現し、高い動力性能と優れた経済性によって大ヒットしました。
そして1979年には、デザインは初代を継承しながらもボディをひとまわり大きくした2代目が登場し、1980年にはライトバンをベースにした同社初のステーションワゴンをラインナップ。
このステーションワゴンは「シビックカントリー」と命名され、5ドアハッチバックをベースにリアの荷室部分を伸ばすことで開発されました。
外観の大きな特徴はボディサイドからリアゲートまで木目調パネル(ステッカー)を採用していたことで、アメリカのステーションワゴンを意識したデザインとなっており、発売から最初の1500台にはこの木目調パネルが標準装備だったことから、シビックカントリーのイメージを強く印象づけました。
エンジンは通常のハッチバックが1.3リッターと1.5リッターをラインナップしていたのに対し、シビックカントリーは1.5リッターエンジンのみで、トランスミッションは5速MTとホンダ独自のATである「ホンダマチック」を設定。
また、テールゲートは運転席からボタンを押すだけでロック解除できる、電磁式オープナーが採用されるなど装備も充実し、ステーションワゴンとして使い勝手も良いことから人気となります。
しかし、シビックカントリーの名前は1代限りで消滅。3代目では5ドアハッチバック近いショートワゴンスタイルの「シビックシャトル」が後継車で、シャトルの名は現在も残っています。
●ダイハツ初代「シャレード クーペ」
ダイハツは1907年にエンジンメーカーとして創業した、国内でも屈指の老舗の自動車メーカーです。
その後、高度成長期に個人商店の物流を支えた名車「ミゼット」が大ヒットするなど、軽自動車や小型車に特化したメーカーとして成長し、1967年にはトヨタと業務提携契約を締結してトヨタグループの一員となり、1969年に提携第1弾として誕生したクルマが、トヨタ「パブリカ」をベースにしたFRコンパクトカー「コンソルテ」です。
しかし、1970年代にはライバル車が次々とFF化されたことから次第に競争力を失い、ダイハツはFFコンパクトカーの自社開発に着手。
1977年に世界初の量産直列3気筒エンジンを搭載したリッターカーの、初代「シャレード」が発売されました。
ボディバリエーションは、発売当初5ドアハッチバックのみでしたが、1978年に3ドアハッチバックの「シャレード クーペ」が登場。
オーソドックスなスタイルの5ドアハッチバックに対し、3ドアハッチバックは若い世代をターゲットにしたユニークなデザインを採用。「Jライン」と名付けられたリアサイドと、さらにその後方にある直径20cmほどの丸いサブウインドウが特徴でした。
この丸い窓は「マリンウィンド」と呼称され、ヨットやクルーザーに採用されていた窓をモチーフにデザインしており、開放感と個性をアピール。
しかし、初代シャレードは優れた経済性によって支持されましたが、若者から人気があったとはいえず、1983年に発売された2代目ではオーソドックスなデザインに改められ、若者に訴求するモデルは1984年の「シャレード デ・トマソターボ」登場まで待たなくてはなりませんでした。
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現在は、ひとつの車種で複数のボディタイプを設定するモデルは少数派になってしまいました。セダンとステーションワゴンをラインナップするのは欧州車では珍しくなく、国内でもカローラや「マツダ6」が採用していますが、そうしたモデルはわずかです。
むしろ、トヨタ「ヤリス クロス」のように別車種とされるのが主流で、グレードのひとつというよりも派生車とした方が、販売的にも売りやすいのかもしれません。
また、ボディタイプの減少は生産の観点でも合理的で、昔ほどニーズも無いことから、今後もこの流れが続くことでしょう。
サニーSOHCはL16型だと思うけど当時の日産はブルーバードにもL20を載せたり若者の血を騒がせた車を送りだしてたっけな。
自分も実はLD20Tと言うターボディーゼルを搭載したブルーバードを知人からレンタルして乗りました。
生意気にもL20ETと同じ黒のタペットカバーに日産のヤル気を感じましたw
この頃から実はやっちゃえ日産だったんですよ、後にキャラバン、ホーミーやバネットラルゴに移植されました。
同じ時代のカローラレビンやファミリアより何故か?魅せられましたよ日産にはw