日本に2台の激レア車! 奇抜で規格外なイタリアンスーパーカー「チゼタ V16T」をドライブする
スーパーカーらしさを求め、他には例を見ないV16エンジンを採用するなど、大胆ともいえるスペックのチゼタ「V16T」。希少性が高く、存在を知っている人も多くはないだろう。そのスーパーカーらしい素質はどのようにして誕生したのだろうか。
天才達による型破りなレシピ
チゼタ「V16T」。メイド・イン・モデナ。生産台数は10台未満。スタイリングはかのマルチェロ・ガンディーニ。V16エンジンをリアミドシップ。これらの事実だけで“真にレアな正統派スーパーカー”と呼ぶことに何の躊躇いもない。
チゼタとはイタリア語発音のC(チ)とZ(ゼータ)で、このプロジェクトの責任者であるクラウディオ・ザンポッリのイニシャルだ。後半はV型16気筒エンジン横置き(トランスヴァース)を意味する。ではいったいクラウディオ・ザンポッリとは何者だったのか。
クラウディオは1966年から1973年まで、ランボルギーニに勤務する開発&テスト担当のエンジニアだった。天才パオロ・スタンツァーニのもとでミウラやカウンタックを作りあげたのだ。
スーパーカー史に残るモデルに関わった男は、ランボルギーニの開発という仕事に飽き足らず、もっと大きなこと、たとえばオリジナルカーを作り出す、に挑戦したいという野望を持ち始めた。
1975年頃、すでに社を辞していたクラウディオは夢を追いかけてアメリカ西海岸へ旅立つ。資金を稼ごうと考えたのだ。果たしてランボルギーニやフェラーリといったイタリアンエキゾチックカーのセールス&メンテナンスの拠点を立ち上げたクラウディオは大成功を収め、十分な資金と特別な人的ネットワークを手中にする。野望への道はかくして開いた。
ここでもうひとり、重要な人物にご登場願おう。ジョバンニ・ジョルジョ・モロダー。モロダーと聞いて音楽通の方ならば即座に幾つかの代表作を思い出すに違いない。
かのドナ・サマーを発掘したことでも有名なプロデューサーであり、数多くの楽曲も世に送り出した作曲家。たとえば「テイク・マイ・ブレス・アウェイ」や「フラッシュダンス…ホワット・ア・フィーリング」といった大ヒット映画音楽も手掛けた。
名前からも分かるとおり彼もイタリア出身だ。自身のクンタッチの整備を通じてクラウディオと出会って意気投合。折しもジョルジョはふたつ目のアカデミー歌曲賞を受賞し、オリンピックゲームの楽曲にも関わるなど絶頂期にあった。
1985年。ジョルジョと共同でチゼタ・アウトモビリを設立。クラウディオの夢がついに実現へと向かって動き始める。イタリアを出てちょうど10年後のことだ。スーパーカーの聖地モデナに本拠をおいた。
この地域にはフェラーリのレーシングカーや数々のスーパーカーブランドを支えてきた職人や会社が無数にあった(今でもそうだ)。さらにクラウディオのパーソナリティを知らない職人もいなかった。新たなスーパーカーをゼロから企画し生産することにかけて、世界でもっとも適した場所であった。
クラウディオのアイデアは奇想天外だった。否、奇想天外でなければ新たなスーパーカーなど成功しないという確信があった。それゆえ16気筒エンジンを自ら設計し、それを車体の真ん中に横置きすることにしたのだ。
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