過激な性能こそ正義だった! 馬力競争が激化した頃のターボ車3選
1979年に、日産は国産車では初となるターボエンジンを搭載したモデルを発売。そこから一気にターボエンジンが普及すると、1980年代には各メーカー間でパワー競争が勃発し、高性能化が加速しました。そこで、パワー競争が激化していた頃のターボ車を、3車種ピックアップして紹介します。
荒削りだったハイパワー車を振り返る
もともと航空機や船舶用に開発されたターボチャージャーは、1970年代になるとレーシングカーに用いられるようになり、次第に市販車にも搭載されるようになりました。
国産車では1979年に発売された日産「セドリック/グロリア」に初めてターボエンジンが搭載され、そこから一気に他メーカーにも波及し、1980年代になると国産車の高性能化が加速しました。
ターボエンジンは手軽に高出力化が可能だったことからスポーティなモデルでは定番となり、各メーカー間でパワー競争が勃発し、カタログ上の数字を競うようになります。
まだ技術的には成熟していなかった頃のターボ車は、ブレーキや足まわりといったシャシ性能が追いついておらず、過激なモデルが急激に増えていきました。
そこで、パワー競争が激化していた頃の荒削りな高性能ターボ車を、3車種ピックアップして紹介します。
●日産「スカイライン2000ターボインタークーラーRS」
1970年代に排出ガス規制が強化され「牙を抜かれた」といわれた日産5代目「スカイライン」でしたが、1980年に2リッター直列6気筒SOHCエンジンにターボチャージャーを装着した「スカイライン2000GTターボ」を発売。
145馬力(グロス)を発揮し、2.4リッター自然吸気エンジンと同等のパワーを手に入れました。
そして1981年に発売された6代目では2リッター直列4気筒4バルブDOHCで150馬力(グロス)を発揮するFJ20E型エンジンを搭載する「スカイライン2000RS」を発売。
「DOHCエンジン=高性能」というイメージを広め、さらに1983年にはFJ20E型エンジンにターボチャージャーを装着し190馬力(グロス)まで出力を高めたFJ20ET型エンジンを搭載する「スカイライン2000ターボRS」が登場しました。
パワー競争という背景から高性能化は止まらず、1984年にはターボチャージャーによって圧縮された空気を冷却して、充填効率を高めるインタークーラーを装着し、最高出力205馬力(グロス)に高められた「スカイライン2000ターボインタークーラーRS」を発売。リッターあたり100馬力を超え、2リッターエンジンではトップクラスに君臨することになります。
一方で、シャシ側の性能はそれほど向上しておらず、いわゆる「ドッカンターボ」という出力特性もあって、速く走らせるにはドライバーの技量が重要だったといいます。
●三菱「ギャラン VR-4」
三菱は1969年にスポーティなセダン、初代「コルトギャラン」を発売。国内外のラリーで活躍するなど、高性能さをアピールしました。
その後、ラリー参戦車両は初代「ランサー」、「ランサーEX」へと代わり、好成績を残しましたが、ラリーの世界では4WDではないと勝てなくなり、三菱はグループB車両の「スタリオン4WD」を開発。
しかし、過剰な性能から事故が多発したため、グループB自体が消滅し、4WDはお蔵入りしてしまいます。
その後、ラリーはより市販車に近いグループAで争われるようになり、世界ラリー選手権に参戦することを目的に、フルタイム4WD+ターボエンジンを搭載した「ギャラン VR-4」を発売。
ギャラン VR-4の外観は控えめなエアロパーツが装着されるにとどまりつつも、エンジンは最高出力205馬力(ネット)という高出力を発揮する直列4気筒DOHCターボで、フルタイム4WDと相まって、加速性能はFR車を大きく凌駕するほどでした。
さらにマイナーチェンジを繰り返すと段階的にパワーアップが図られ、1990年には2リッターエンジンながら240馬力に到達。
ギャラン VR-4は当初の目的だった世界ラリー選手権での勝利も獲得し、次世代のラリーマシンである「ランサーエボリューション」シリーズ誕生の礎になりました。
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