グレース・ケリーも愛したホンダ「エスハチ」は500万円オーバーで落札!!
ホンダが当時の持てる技術を注ぎ込んだクルマ、それが「S600/S800」であった。この両車がオークションに登場。海外でも高い評価を受けていた両車は、昨今人気を博している「ジャパニーズ・クラシック」の影響もあり、予想以上の落札価格となった。
ホンダの夢が詰まった「S(エス)」シリーズとは?
クラシックカー/コレクターズカーのオークション業界最大手のRMサザビーズ社は、北米インディアナ州エルクハートにて2020年5月に開催するはずだった大規模オークション「THE ELKHART COLLECTION」を、予定から約半年の延期に相当する10月23日・24日に、対面型とリモート入札の併催のかたちでおこなうことになった。
このオークションで特筆すべきは、近年世界的な人気を博している「ジャパニーズ・クラシック」も複数が出品されたことである。
トヨタ「2000GT」やダットサン「240Z」など、いまや国産旧車界の「スター」と称されるクルマたちがオークションカタログを賑わす一方で、軽自動車を含む、小さな国産旧車たちが大挙して出品されたことも注目に値しよう。
そのなかから今回VAGUEが注目したのは、小さなスポーツカーのホンダ「S600」と「S800」。同時代に創られた世界のあらゆるライトウェイトスポーツカーよりも高度なテクノロジーで構成された「エス」は、日本国内はもちろん海外市場でも高い評価を受けた。
もちろん、ここ数年の「ジャパニーズ・クラシック」ブームに乗って、国際マーケット価格も高値安定が続いているようだが、新型コロナ禍の真っただ中にあっていかなる評価が下されたのだろうか?
●1966 ホンダ「S600コンバーチブル」
RMサザビーズ「THE ELKHART COLLECTION」オークションに出品されたホンダS600は、ホンダ初の4輪乗用車である伝説のスポーツカー「S(エス)」シリーズの第2世代にあたるモデルである。
ホンダ「エス」は1962年秋の東京モーターショーにて、軽自動車枠に収めた「S360」と小型登録車枠の「S500」のプロトタイプ2本立てでショーデビューした。
残念ながらS360の生産化はなかったものの、翌1963年10月にS500の生産バージョンが正式発売され、わずか5か月後の1964年3月には「S600」に進化。
さらに1966年1月には「S800」にモデルチェンジした。つまり、リリース後のたった2年3ヶ月の短い期間で、目まぐるしく進化を遂げたことになる。
一連のホンダ・エスはDOHCのバルブ機構、ローラーベアリングのクランク軸受に4連CVキャブレターなど、当時、すでに世界の頂点を究めつつあった2輪の世界GPや、1964年シーズンから正式参戦した「走る実験室」ことF1グランプリ譲りの超絶的なハイテクノロジーがふんだんに投入され、S600ではわずか606ccというちっぽけなエンジンを搭載しながらも「時計のように精密」と賞賛された。
オークションに出品されたのは、1966年に北米で登録されたという左ハンドル車。昭和40年製造であることから、日本のエス愛好家の間では「40(ヨンマル)式」と呼ばれる、S600の最終バージョンにあたる1台である。
S600/800ともに2シーターのコンバーチブルと3ドアのクーペが生産・販売されたが、出品車両はコンバーチブルであった。
このホンダS600に、RMサザビーズは1万5000−2万ドルというエスティメート(最低落札価格)を設定したが、これはいかに不安定な市況にあっても控えめに過ぎたともいえる。ところが、どうやらこの価格設定には裏話があったようだ。
実は「THE ELKHART COLLECTION」オークションは、詐欺の疑いで訴追されるとともに破産宣告を受けた某実業家の資産であるクルマたちを売却するためのものであり、確実な落札に至る必要があったからだと思われるのだ。
結局オークションでは3万1360ドル、日本円に換算して約328万円というエスティメート上限をさらに1万2000ドル近く上回る、なかなか上々の結果となった。
それでも、日本国内ないしは欧米で流通しているホンダS600としては若干低めとも映るプライスだったのは、レストアから比較的長い期間を経た使用感が否めないこと、そして次ページで後述する、アメリカにおけるS800との人気差が影響しているかに思われる。
s600まではデフの無いチェーン駆動だと記憶してるが?