グレース・ケリーも愛したホンダ「エスハチ」は500万円オーバーで落札!!

グレース王妃も愛用したホンダのスポーツカーとは?

 1965年末にデビューし1970年に惜しまれつつ生産を終えたS800は、ホンダ創成期の大成功作「エス」シリーズの最終型である。

●1969 ホンダ「S800コンバーチブル」

素晴らしく美しいコンディションにレストアされていたホンダ「S800コンバーチブル」(C)2020 Courtesy of RM Sotheby's
素晴らしく美しいコンディションにレストアされていたホンダ「S800コンバーチブル」(C)2020 Courtesy of RM Sotheby's

 直列4気筒DOHCエンジンは、S600の606cc・57psから、ストロークを延長することで791ccまで拡大することによって70psをマーク。

 エスとしては初めて160km/hの最高速度をマークし、海外マーケットでは「100マイル(約160km/h)カー」であることを高らかに標榜した。

 しかし、排気量をまったく感じさせない素晴らしい高性能を発揮する一方で、劣悪だった当時の日本国内の道路事情下でも充分な実用性を有し、生活をともにすることのできるスポーツカーとして人気を博すことになった。

 そんなS800の高性能が公道のみに収まるはずもなく、当時の国内レースでは「GT-1」カテゴリー1000ccクラスで常勝マシンになる一方、モータースポーツの本場ヨーロッパにおいても、生沢徹のドライブで1967年ニュルブルクリンク500kmレースにて1000ccクラス優勝を果たすなど、驚くべき戦果を残している。

 S800は我が国のスポーツカー史における金字塔的傑作となった。そのうえ、最終モデルとなったマイナーチェンジ版「S800M」でも75万円という安価な販売価格が設定されたことも相まって、当時の日本人モータリストに初めてスポーツカーの楽しみをもたらした功績はきわめて大きいといえよう。

 さらにモナコのグレース王妃や、フェラーリの世界的コレクターとして知られたフランスのピエール・バルディノン氏が愛用するなど、スポーツカーについては先達たるヨーロッパのセレブリティやエンスージャストからも極めて高い評価を得たのは、日本製スポーツカーとしては恐らく初めてのことと思われる。

 このS800コンバーチブルに、RMサザビーズ社と元オーナーが設定したエスティメートは1万5000−2万ドルで、もう1台のS600コンバーチブルと同額。いずれも、かなり控えめな見立てだったようだ。

 結果として「THE ELKHART COLLECTION」オークションに出品されたクラシック・ホンダはS600とS800、そして「N600」と「Z600クーペ」ともに同額のエスティメートが設定されたことになるのだが、実際にふたを開けてみればエスティメート上限をさらに2倍以上も上回る5万400ドル、すなわち邦貨換算約528万円で落札されることになったのだ。

 もう1台のS600よりも、さらに2万ドル近い落札価格差が生じたのは、このS800が素晴らしく美しいコンディションにレストアされていることが大きな要因と思われる。

 しかしもうひとつ、とくにアメリカにおける嗜好の違いも注目すべきであろう。

 日本やヨーロッパのエンスージアストの間では、S600の小排気量ゆえの楽しさが珍重されることから、S800とのマーケット相場価格の差は皆無に等しいと認識しているのだが、その一方でパワーや快適性を重要視するアメリカにおいては、現役時代もクラシックカーとなった現代でも、やはりS800が好まれると考えられるのである。

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1件のコメント

  1. s600まではデフの無いチェーン駆動だと記憶してるが?

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