祝50周年! ランボルギーニの悲運のスーパーカー「ウラッコ」とは?
2020年は、現在の「ウラカン」の始祖ともいえるピッコロ・ランボルギーニである「ウラッコ」が誕生して50周年。その誕生にまつわるエピソードを紹介しよう。
悲運のスーパーカー「ウラッコ」とは?
2020年は、自動車界における「アニバーサリーイヤー(記念の年)」の当たり年。自動車史上に冠たる名作たちが、記念すべき節目の年を迎えることになった。
1970年に、まずは「P250」としてデビューしたランボルギーニ「ウラッコ」もそのうちの1台だ。ランボルギーニが量産スーパースポーツという新領域を目指しつつも、いささか先鋭的に過ぎたコンセプトがあだとなって、セールス面では成功に至らなかったモデルである。
しかし、その評価は近年になってにわかに高まり、クラシックカーマーケットにおける価格も順当に上昇する傍ら、ランボルギーニ本社でも50周年を自ら祝う公式プレスリリースを全世界に向けて発信することになった。
そこで今回は、われわれVAGUEでもその誕生ストーリーを紹介し、悲運の傑作へのオマージュとしたい。
●理想主義の粋を集めた意欲作
スーパーカー界のスターである「ミウラ」や「カウンタック」に比べると、1970’sイタリアンスーパーカーとしては小型の部類に属するモデルであることから、ながらくマイナー感が否めなかったランボルギーニ・ウラッコ。
フェラーリの傑作「ディーノ246GT」に対応して誕生したといわれるが、その実体は、当時から既に実用的高級スポーツカーとして世界的な名声と販売実績を欲しいままにしていたポルシェ「911」のマーケット切り崩しを目的としたモデルだったという。
若き日のパオロ・スタンツァーニ技師が、持てる知恵とスキルのすべてを駆使したウラッコ。その最大の特徴は、ミドシップ・レイアウトのまま2+2の実用的なスーパースポーツを目指したことであった。
2シーターのミウラよりも50mm短い、2450mmというホイールベース内に、2+2のシートアレンジと横置きV8ミドシップを両立するという高度な設計を、しかも量産スポーツカーとして実現しようと目指したことで、結果としてミドシップ・スポーツカーのパッケージングに一石を投じたモデルとしても知られることになるのだ。
このパッケージングを実現することに加えて、生産性向上とコストダウンにもプライオリティを置いたモノコック式ボディが開発の当初から推進されたのも、ウラッコにおける重要なトピックといえるだろう。
もともとモノコックボディは、スタンツァーニの元同僚であるジャン・パオロ・ダラーラ技師が、フォード「GT40」に感銘を受けて以来こだわっていたとされるテクノロジー。
スタンツァーニもその影響を受けていたのか、ウラッコのほかにもV12エンジンをフロントに搭載した「ハラマ」で、モノコックを実現に至らしめている。
また、カウンタックも「LP500プロトティーポ」の開発初期段階まではモノコックで進められていたものの、少量生産のフラッグシップモデルには不適格と判定され、生産型ではコンベンショナルながら高度な鋼管スペースフレームに切り替えられたとのエピソードも残されているようだ。
そしてランボルギーニ社の社主、フェルッチオがドラスティックな改革を目論んでいた組み立て工程については、ほとんど手作りに終始していたそれまでのランボルギーニ・アウトモビリのセオリーから一歩踏み出した量産体制を模索。
当時としては、大量生産メーカーでさえまだ成功例のなかった、無人ロボットによるオートメーション化さえ真剣に議論されていたといわれているのである。
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