フェラーリじゃないフェラーリ、「ディーノ」は「ミウラ」の対抗馬だった!?
フェラーリのサブブランド「ディーノ」誕生
ディーノ206GTに至るプロトティーポ(試作車)第1弾、1965年秋に製作された「ディーノ・ベルリネッタ・スペチアーレ」は、ピニンファリーナ所属のスタイリスト、アルド・ブロヴァローネがデザインワークを担当した。
●4つのプロトティーポを経て、ついに完成
車両の先端に透明プレクシグラス製のカバーで覆われた4灯ヘッドライトを持つ、驚くほどに低いノーズ。垂直に立てられ、逆「コ」の字型を成すリアウインドウなどを特徴とする。
またドア後半からリアフェンダーに至る、引っかき傷のごとき凸面型に成型されたエアインテークや、一見したところではその所在を確認できないヒドゥン・タイプのドアハンドルなど、デザイン的な新機軸も数多く試みられていた。
しかしこのスタディモデルのメカニズムは、純粋な「206Sコンペティツィオーネ」用を想定したもので、とてもそのまま量産・市販に移行できる状態でないことは、誰の目にも明らかであった。
それでも、そのアグレッシブな美しさは、ベルトーネがミウラで引き起こしたセンセーションに対抗するには充分なものだったのだが、実際の生産化には約3年もの歳月を要してしまう。
ストラダーレ版ディーノに至るふたつ目のプロポーザルが提案されたのは、翌1966年のことである。この第2次プロトティーポ「ディーノ・ベルリネッタGT」は、丸型2灯のヘッドライトをフェンダーに収め、センターにはフェラーリの定石である楕円型グリルを持つノーズを特徴としていた。
デザインワークと試作車の製作がトリノのピニンファリーナ主導でおこなわれていた傍ら、マラネッロではメカニカルパートの開発に集中していた。ディーノV6ユニットの搭載レイアウトが、初期の縦置きから横置きミドシップに改められたのは、上記の第2次試作車の完成を目指して作業が進められていた時期のことである。
翌1967年に、ピニンファリーナが製作した第3次試作車は、生産型と同じ横置きミドシップで、エンジンにも横置き搭載を見越した専用のチューニングが施されたという。また、横置きエンジンとした結果として有効なトランクスペースが生まれたことから、それまで一体式だったリアのエンジンフードとトランクフードは、分割式の新意匠となった。
さらにその直後には、フロントバンパー形状まで生産型にごく近いものとされた、第4のプレ生産型試作車が製作。この年11月のトリノ・ショーにおけるピニンファリーナ社ブースにて「ディーノ206GT」としてお披露目されるに至ったのである。
この時に出品されたプレ生産型試作車には、フェラーリとピニンファリーナとの合意にしたがって、正式に「Dino」のバッジが授けられていた。これは、ディーノがひとつのブランドとして立ち上げられたことを意味する。
また、トリノ・ショー会場において配布されたリーフレットには「Minuscola, Scattante, Sicura……,quasi una Ferrari(=コンパクトで敏捷、安全な……、ほとんどフェラーリ)」というコピーが銘打たれていた。
こんな、ある意味自虐的ともとれるキャッチフレーズとともにデビューしたディーノ206GTながら、進化型の「246GT/GTS」とともにフェラーリ史上屈指の名作となったことには、なんとも形容しがたい「歴史の綾」のようなものが感じられる。くわえて、この上ない痛快さも覚えてしまうのは、きっと筆者だけではあるまい。
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