なぜトヨタはスポーツカーを復活させた? 86/スープラ 廃止から復活の理由
昨今は、ミニバンやSUVなど実用性や趣味性などのニーズに応えるモデルが人気です。しかし、ひと昔前まではスポーツカーといわれる速さを求めたモデルが多くラインナップされていました。トヨタも一度スポーツカーのラインナップを廃止しましたが、最近ではスポーツカーが徐々に復活しつつあるのです。なぜ、一度消滅したスポーツカーを復活させたのでしょうか。
トヨタがスポーツカーを増やす理由
かつてトヨタには、さまざまなスポーツカーやセダンに高性能エンジンを搭載した「羊の革を被った狼」のようなモデルがラインナップされていましたが、一度、それらのモデルが姿を消しています。
しかし、最近ではトヨタのスポーツカーラインナップが拡充し始めているのです。なぜ、トヨタはスポーツカーを再び増やし始めているのでしょうか。

トヨタには、これまで「2000GT」、「スポーツ800」、「スープラ」、「セリカ」、「MR2/MR-S」、「レビン/トレノ」といったさまざまなスポーツカーがラインナップされていました。
しかし、そのラインアップも次第に縮小され、2007年にMR-Sが生産終了となったことでトヨタからスポーツモデルが完全に消滅しました。
効率や業績、数字だけを追い求めていくと「スポーツカーは不要」という考え方はビジネスとしては正論でしょう。その頃、トヨタは販売台数では世界No.1になりましたが、その一方でクルマ好きからの評価は最悪で、「トヨタはつまらない」、「欲しいクルマがない」とソッポを向かれていたのも事実です。
トヨタ社内にはそんな状況を危惧し「ちょっと待った」を掛けた人達がいました。それが当時副社長だったモリゾウこと豊田章男氏とマスタードライバーの成瀬弘氏を中心に発足した“元祖”「GAZOO Racing」です。
トヨタのモータースポーツへの挑戦を通じて「人とクルマを鍛える」という取り組みは有名な話ですが、それと同じタイミングで商品企画部に「BRスポーツグループ」、技術部の中に「BRスポーツ車両企画室」と呼ばれる期間限定の特別組織が生まれました。
その目的はズバリ「今後のスポーツモデルを考える」です。そこから生まれたのが、スバルと共同開発により登場したFRスポーツ「86」、そして「スポーツコンバージョンモデル」でした。
ちなみに“元祖”GAZOO Racingの発足当初は組織というより同行会に近いレベルでしたが年を追うごとに規模は拡大、2016年に社内カンパニー制度で「TGRファクトリー」、そして2017年には「GRカンパニー」とほかのカンパニーと肩を並べる存在に成長しました。
その後、2019年に86の兄貴分として17年ぶりに復活した「GRスープラ」はBMWと共同開発が話題となりました。なかには「トヨタはスポーツカーを作れないので他社に丸投げした」と苦言を呈する人もいますが、それは大きな間違いです。その本質は86と同じくスポーツカーをビジネスとして成立させ継続させることにありました。
ちなみにカンパニーになったことで、ワークスチームによるモータースポーツ活動やファン作りだけでなく、商品の企画/開発/製造/販売準備に至るまで、クルマ屋としてのすべての機能が与えられました。
つまり、レースで培った技術やノウハウを量産モデルに活かしてビジネスをおこなうというサイクルこそ、GRカンパニーに与えられた最大の使命です。
それは「スポーツカーを出したい」という気持ちがあっても、「気持ちだけでご飯は食べられない」ということに対する、現時点での最適解でしょう。






































