韓国車がかつて日本で売っていた? 国内市場から撤退した自動車ブランド6選
いつ消えた? ハマーブランドの巨大SUV
●ハマー(アメリカ)
ハマーは米GMが持っていたSUVブランドで、AMゼネラルが生産する軍用車「ハンヴィー」を民生用に変えた「H1」というモデルをラインナップして、1992年に販売が開始されました。
しかし、H1の全幅約2.2mという大柄なボディは、日本で使うには流石に大きく、2002年に登場したややコンパクトな「H2」が日本でヒットします。H2は軍用車ベースではなく、シボレーのSUVである「タホ」をベースとしていました。
さらに2006年に登場した「H3」は全幅2m以下で、H1やH2以上にコンパクトでしたが、迫力という意味で物足りなさは拭えませんでした。
H1の輸入はハマー・ジャパン、H2はGMジャパン、H3は三井物産が輸入していました。しかし、ハマーそのものが2010年に生産を終え、ブランドを閉じます。
●オペル(ドイツ)
日本GMが日本展開していた独オペルも、2006年に日本から撤退しました。
ヤナセは当初、独フォルクスワーゲンと輸入販売権で揉め、その販売から撤退します。撤退したフォルクスワーゲン「ゴルフ」の販売を補完するモデルとして、ヤナセがオペルの輸入権を取得し、「アストラ」や「ヴィータ」(本国名:コルサ)などを本格的に展開しました。
導入当初は盛り上がっていた販売ですが、その後低迷し、日本でのオペルの存在感も薄れる一方でした。
2000年にヤナセは、日本GMへオペルの輸入権を移譲します。日本GMはオペル車販売のテコ入れを図ったものの、販売不振のままで撤退を決めました。2017年、PSA(プジョー・シトロエン)がGMからオペルブランドを買い取り、翌年にはPSA傘下で黒字を達成しています。
●サーブ(スウェーデン)
スウェーデンの軍需・航空機メーカー「サーブ」の自動車部門であったサーブ・オートモービル(Saab Automobile AB)は、第二次世界大戦後の1947年、前輪駆動の自動車「92001」を世に送り出します。
以降、さまざまなモデルを輩出しながら1978年、主力モデルを改良型「900」に移行し、ターボモデルが米国や日本で、ヤッピー(年に住む若いエリートサラリーマンの俗称)御用達モデルとして大人気となります。
1984年にイタリアのフィアット・グループと提携を結び、合弁事業でフィアット「クロマ」、ランチア「テーマ」、アルファロメオ「164」と兄弟車となる高級車「9000」をリリースしました。
しかし、業績低迷が続き2000年にGM傘下となります。ところが、そのGMも前述のように経営不振に陥り、サーブは2011年に経営破綻。日本での販売は2012年に終了します。
現在はナショナル・エレクトリック・ビーグル・スウェーデン社(NEVS)傘下となっており、2017年度よりブランド名を社名と同じNEVSに変更。SAABブランドは使用されていません。
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海外自動車ブランドは、1990年代ごろから日本における新車販売で販促に注力してきました。
しかし、ガラパゴスとも言われる日本独特の自動車消費傾向、つまり軽自動車、ハイブリッド車、ミニバンに代表されるセグメントで、とくに米国メーカーは苦戦しています。
メルセデス・ベンツやBMW、アウディなどのドイツ勢は、高級モデルで利潤を上げる手法で堅実に売り上げていますが、急激な成長は望めません。
市場を守る国産メーカーも新しい切り札が出せない状況で、日本の市場は硬直しているといえるのかもしれません。
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