初代がスゴすぎ!? 2代目がパッとしなかった車5選
通常、クルマは数年間隔でフルモデルチェンジをおこないます。メーカーとしては莫大な資金を投じているわけですから、新型車はヒットしてくれないと困ります。しかし、すべてのクルマがヒットするわけではありません。そこで、偉大な初代の影で二代目が残念な結果になったモデル5車種をピックアップして紹介します。
初代は超えられない壁だった!?
クルマは数年に1度フルモデルチェンジをおこなうのが通例です。かつては約4年周期で、近年は6年から8年周期が多いといわれています。
フルモデルチェンジをおこなうということは、先代を超えるヒット作になることが必須です。
しかし、必ずしも成功しない場合もあるので、新型車開発の難しさがうかがえます。
そこで、偉大な初代の影で二代目が残念な結果になったモデル5車種をピックアップして紹介します。
●三菱「デボネア」
三菱「デボネア」というと「走るシーラカンス」と呼ばれていたことを思い出す人が多いはずです。初代デボネアは1964年に発売され、1986年まで22年間も大きくデザインを変えることなく販売された、ロングセラーモデルでした。
当時のアメリカ車をオマージュしたようなデザインは完全にクラシックカーのようで、生産中止後に人気が出るという現象が起きました。
そして1986年、デボネアはついに2代目へフルモデルチェンジします。当然、デザインもメカニズムも近代化しますが、初代のようなオーラはありませんでした。それもあって、初代が再評価されたのかもしれません。
バブル景気もあり、セールス的には初代よりは良かったものの、それでもライバルのトヨタ「クラウン」や、日産「セドリック/グロリア」に比べると、わずかな販売台数でした。
その後3代目が出ますが、社用車やハイヤー需要がほとんどで、これをもってデボネアの歴史に幕を閉じます。
●日産「シルビア」
初代日産「シルビア」は、スポーツカーの「フェアレディ」をベースに美しいボディを架装したスペシャルティカーとして、1965年に発売されました。
当時の価格はセドリックを超える120万円と、若者には無縁の高嶺の花というべきモデルでした。そのため、1965年から1968年までの3年間でわずか554台生産と、まさに幻の名車です。
そこからしばらく空白期間がありましたが、1975年に2代目シルビアとして正式名称「ニュー・シルビア」がデビュー。
2代目は「サニー」のシャシをベースに量産化に対応した新時代のスペシャルティカーで、外観のデザインも流麗なファストバック・クーペで美しくまとめられていました。
しかし、ちょうど排気ガス規制が強化された時期に販売されたこともあり、エンジンのスペックは速そうな見た目ほどのパワーもなく、販売は低迷します。
次の3代目ではターボやDOHCエンジンを搭載するなど、スポーティに味付けされており、若者から高い評価を得ます。
ちなみに、2代目シルビアにはロータリーエンジンの搭載が予定されていましたが、オイルショックなどがあったことで、計画は白紙となってしまいました。
●日産「セフィーロ」
初代日産「セフィーロ」は「くうねるあそぶ。」の個性的なキャッチコピーとともに、1988年に登場しました。
「セフィーロコーディネーション」と呼ばれる、エンジン3種とサスペンション3種による9種類の組み合わせから選択でき、車体色と室内色の組み合わせも高い自由度がありました。
外観ではプロジェクターヘッドランプを持つ特徴的なフロントマスクと、ロングノーズのスタイリッシュなボディということで、若者からも支持されます。
また「スカイライン」などと共通のFRシャシだったので、走り好きにも受け入れられていました。
1994年にフルモデルチェンジをおこない、シャシが一新されFFとなります。ボディも拡大され室内は格段に広くなり、新世代のV6エンジンを搭載するなど、意欲的なモデルとしてセールスは好調に推移。
しかし、先代のFR駆動を好むユーザーが多く、またデザインもあまり個性的とはいえず、初代ほどの足跡は残せませんでした。
名前だけ残して、先代と全く違う車を作っている。例:FR→FF・2人乗り→5人乗り・角→丸 等
「(継続性より)変えなくっちゃ症候群」に陥ってしまうんでしょうか。