トヨタ「GR GT」誕生の裏にあったのは「悔しさ」だった! 20年に一度、“継承と進化”をもって開発されるトヨタのフラッグシップスポーツ その誕生秘話とは
トヨタは2025年12月5日、ウーブンシティ(静岡県裾野市)でフラッグシップスポーツ「GR GT」とそのレーシングモデル「GR GT3」、そしてその兄弟車である「Lexus LFA Concept(LFAコンセプト)」を世界初公開しました。本記事では「GR GT」に注目し、その誕生の経緯を自動車ジャーナリストの山本シンヤ氏が伝えます。
「いいクルマ」を継承し、継続させるために
2025年12月5日、富士山の裾野にあるウーブンシティのインベンターガレージ(元トヨタ自動車東日本のプレス工場)で世界初公開された、トヨタのフラッグシップスポーツ「GR GT」とそのレーシングモデル「GR GT3」、そしてその兄弟車である「Lexus LFA Concept(LFAコンセプト)」。
「GR GT」は、低重心や前後重量配分(45:55)など徹底してこだわった基本素性、軽量と高剛性のみならず量産のしやすさも含めて開発されたトヨタ初のアルミ骨格のスペースフレーム構造、システム出力650ps以上/850Nmを誇るV8 4.0Lターボ+8速AT内蔵1モーターのハイブリッド(HEV)、サーキットから日常までをカバーするフットワークなどの特徴を持ちます。
詳細はくるまのニュースをはじめ様々なメディアに掲載されていますが、筆者(山本シンヤ)は、このクルマの誕生の“経緯”についてお伝えしたいと思います。

このクルマのキーマンである豊田章男氏はプレゼンで「悔しさ」と語りました。トヨタのフラッグシップスポーツの開発は「式年遷宮」かのごとく、20数年に1度「技術の伝承」を含めて行なわれてきました。
式年遷宮とは「定められた年に、社殿や神宝などをすべて新しく造り替えて、神様を新しい社殿にお遷しする神事」を意味します。有名なのは伊勢神宮で1300年以上に渡り行なわれています、その理由は1.神の洗浄性(神は清浄な場所を好む)」、2.技術の継承(20年という期間を設け、その時代ごとの職人が技術を次世代に伝えていく)、3.永続的な祈り:(繰り返すことで、祖先から受け継がれてきた心の絆を未来へ伝える)があります。
ただ、伊勢神宮とトヨタの式年遷宮は異なる部分もあります。それはクルマづくりの基本となる技を守りながらも、新技術を取り入れることで次世代に受け継いでいくこと。つまり「継承」だけでなく「進化」も必要だということです。
豊田氏も「20年に1度開発すればいいのでなく、それに繋がる様々な挑戦を日々行なっています」と語っています。
それと悔しさがどう繋がっているのでしょうか。トヨタのフラッグシップスポーツを振り返ると、「2000GT」(1967年)、「A80スープラ」(1993年)、レクサス「LFA」(2010年)が登場しています。
その中のA80スープラはトヨタがドイツのニュルブルクリンクを使って本格的に開発された初めてのモデルとしても有名です。豊田氏もこのクルマで当時のマスタードライバーである成瀬弘氏と運転訓練を行なってきましたが、ニュルでの出来事を豊田氏はこのように振り返っています。
「他のメーカーは将来出す予定であろう開発中のクルマを走らせていました。しかし、トヨタにはニュルで鍛えられる現役のスポーツカーはないどころか、ここで通用するクルマは生産が終わった中古のスープラのみ。
コース上で他のメーカーの開発車両に追い抜かれる時に、そのクルマからこのような声が聞こえてきました。『トヨタさんには、こんなクルマづくりは造れないでしょ?』と。この時の悔しさは今でも鮮明に覚えています」

A80スープラは2002年に生産終了しますが、後継モデルは存在せず…。この当時のトヨタは「いいクルマ」よりも「売れるクルマ」が重視され、当然、手間がかかる割には台数が見込めないスポーツカーはリストラ対象となり、2002年に「スープラ」、2005年に「アルテッツァ」、2006年に「セリカ」、そして2007年に「MR-S」が生産を終了しました。
グローバルでフルラインナップを誇るトヨタからスポーツモデルが完全に消滅。そんな状況に疑問を持っていたのが、豊田氏でした。この時「クルマは唯一“愛”が付く工業製品であり、このままではクルマは白物家電になってしまう」という強い危機感があったのでしょう。
その行動が成瀬氏と共に2007年からのニュルブルクリンク24時間レースの挑戦に繋がるわけですが、その裏で次期スーパースポーツの開発が極秘に進められていました。それが2010年に登場したレクサス LFAでした。
開発のスタートは2000年、当初は既存のV8エンジンをチューニングして搭載、シャシーはアルミ骨格で検討していたそうですが、「トヨタはあと2年でF1に出る(2002年から参戦)。ありきたりなスポーツカーでお茶を濁すな!」という当時の役員の鶴の一声で、エンジンは専用設計のV10、車体はCFRPキャビン・アルミフレームの採用を決断。
といっても、開発当初は社内の新車プログラムには組み込まれておらず、商品化すら決まっていなかったそうです。正式なプロジェクトとして認められたのは2005年、商品化が決定したのは2007年でした。
開発チームは「性能や速さはもちろん、『乗ってどう感じるか』という数値に表れない官能性を大事にしたい」という想いから、評価・味付けを成瀬氏に委ねました。
そして、試験車をニュルで走らせると、単純に速いというだけでなくドライバーに何とも言えない気持ち(乗って気持ちいい)にさせるクルマだと感じた一方で、これまでのトヨタ/レクサスのモデルとは比較にならないスピード、G、そして熱など「生みの苦しみ」も数多く味わったといいます。
その解決のために、これまでの常識を破る開発手法が取られました。それは「実戦で鍛える」を目的に、発売前のモデルにも関わらず2008/2009年のニュル24時間に開発テストとしての参戦でした。
これまで新車開発は“極秘”が常識でしたが、トヨタは「いいクルマ作りのために」と、今までとは180度違う考え方を採用したのです。
豊田氏は「走りにこだわるクルマはテストコースでNVHを見ているだけではダメ、ニュルで鍛え育てる必要があります。そのためには、クルマだけでなくエンジニアの意識改革もしないといけないと思いました」と語っています。
しかし、リーマンショックの影響で2008年の決算は創業以来の赤字。その影響で市販化凍結の危機もあったといいます。しかし、評価ドライバーの1人として開発にも色濃く関与していた豊田氏は発売を決意しました。しかし、限定500台という限られた台数での提供が限界でした。
豊田氏は「LFA以前はトヨタにはスープラ(A80)を超えるクルマがありませんでしたが、LFAでやっと超えることができました。しかし、『限定500台』しか売ることができず、悔しさが残ったのも事実です」と語っています。その反省からスポーツカーをビジネスとして成立させ、継続させることが重要だと考えたのです。
その後、2012年にスバルとの共同開発で「トヨタ86(2021年に登場の2代目からGR86)」が登場、2019年にBMWとの共同開発で17年ぶりに「GRスープラ」が復活。
そして、2020年にセリカGT-FOUR以来途切れていたスポーツ4WDの「GRヤリス」が登場、2022年にはその兄貴分となる「GRカローラ」が登場と、スポーツカーラインアップを拡充。どのモデルも高い人気を誇っています。
しかし、豊田氏はGRのスポーツカーラインナップのピースが全て埋まっていないことが気になっていました。豊田氏はプレゼンでこのように語っていました。
「15年前、私はある日突然マスタードライバーを引き継ぐことになりました(2010年6月23日、成瀬氏はLFAニュルブルクリンクパッケージの開発テスト中に事故で逝去)。
成瀬さんが私に残してくれたクルマづくりの“秘伝のタレ”は、あの悔しさだったんだと思います。もう1つ残してくれたのは、その悔しさを共有できる数人の仲間たちでした。
私たちはその悔しさを原動力にもっといいクルマづくりを、ひたすら続けてきました『GRヤリス』、『GRスープラ』、『GR86』、『GRカローラ』水素エンジン、スーパー耐久、ニュルブルクリンク…そしてこのクルマたちです。
今のトヨタには、私と同じ想いでクルマをつくってくれる仲間がこんなにたくさんいます。この仲間たちに、私はクルマづくりを託していきたい。仲間たちとクルマづくりをしながら、“秘伝のタレ”を未来に残していきたい。モリゾウと仲間たちのもっといいクルマづくりは、過去から現在、そして未来に繋がっていきます」
LFAから15年、その“秘伝のタレ”を継承する時期が来た…というわけです。
Writer: くるまのニュース編集部
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