“バイクの免許”で運転できる「“軽”自動車」!? 400kgの“超軽量ボディ”&MT採用! RRで全長2.7mで“2人乗り”!? 前輪ブレーキもなかった「フライングフェザー」とは
かつて、非常にシンプルなRR・2シーター・オープンカーの軽自動車が製造販売されていました。それはどのようなクルマだったのでしょうか。
前輪ブレーキは省略!徹底した合理主義で開発された“軽自動車”
世界中を見ても「軽自動車」規格があるのは日本のみ。今や新車販売の約4割が軽自動車という特殊な市場となりました。
そんな軽自動車の歴史を振り返ると、非常に興味深いクルマがあります。

日本の自動車史で初めて軽自動車が登場したのは1949年(昭和24年)です。当時は戦後の復興まっただ中、日本のモータリゼーションは欧米に比べると大きく遅れを取っていました。
ただ、終戦(1945年)直後の自動車製造は、GHQ(連合国軍総司令部)による許可が必要で、その生産数は非常に少なかった一方で、米軍の軍用車が2万4000台払い下げられていました。
GHQによる自動車生産制限の解除は、軽自動車規格が初めて登場した年と同じ1949年でした。
1950年代前半までは、名も知られていないような多数・多業種の企業が軽自動車を開発・生産していくのですが、町工場で手作りしたようなクルマが多く、性能に問題を抱えていた軽自動車が多かったものでした。
そんな中、東京・大森の「住之江製作所」が開発、1954年(昭和32年)に発表、翌年に製造された「フライングフェザー(飛ぶ羽根)」は、物資が乏しい中、確かな技術で開発されました。
フライングフェザーは、車名が示すとおりの超軽量車で、「最も経済的なクルマを」という思想で徹底した合理主義で設計されました。現代でいう”究極のミニマリズム”で、前輪ブレーキは省略され後輪のみとなる仕様など、メカニズムは必要最小限とされていました。
いっぽう乗り心地を重視され、当時の高級車でも採用されなかった四輪独立懸架が採用されていました。
ボディサイズは、当時の軽自動車規格に収まる全長2767mm×全幅1296mm×全高1300mm、2人乗りの2ドアのオープンカーとなりますが、おそらくルーフに鉄板を使うより、コストを抑えるために幌にしたという、結果としてオープンカーとなったものと思われます。
徹底的な合理主義で開発され、デザインしたというより、必要最小限の灯火類、ボディパネルで構成された外見となり、インテリアも鉄板を折り曲げただけの真っ平らなインパネに、最小限の計器類を備えただけのものでした。
リアエンドは、リアライトを取り外したような空洞があり、灯火類はナンバープレートの上に小さく1灯だけ装備していました。
ステアリングホイールは、鉄パイプを円形にし内側に直線のパイプを溶接してくみ上げただけの潔いまでのシンプルさで、現代の価値観で見れば機能美すら感じるものとなっています。
シートは折り曲げた鉄パイプと、むき出しのスプリングを座面と背面に、その上に座布団と書いたほうがより正しいかもしれないクッションが置かれたものでした。
パワートレインは、当時の軽自動車規格の排気量350ccの4サイクル・V型2気筒エンジン、最高出力12.5馬力・最大トルク約2.2kgf-mを発生、エンジンは車両後方に置く後輪駆動となっていました。また、車両重量は425kgという超軽量でした。
タイヤは、19インチのバイク用のワイヤースポークリムが使用され、ここにも徹底的な合理主義が現れています。
非常に画期的なフライングフェザーでしたが、あまりにもシンプルすぎるデザインと装備が市場に受け入れられず、わずか1年で販売終了、その生産台数は200台(48台という説もあり)という幻の軽自動車となってしまいました。
フライングフェザーのデビューと同じ年には、スズキが初の軽自動車「スズライト」を発売、このクルマは商業的に成功を収めて自動車史上では初の量産軽自動車となりました。
その当時の軽自動車は、二輪自動車免許を持っていれば軽自動車に限って四輪車が運転できた時代でした。
現在とは大きく異なる自動車市場と制度だった1950年代には、いま見ると斬新なモデルがあったのでした。
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