名神の裏歴史「放棄された廃ルート」に反響多数!?「知らなかった」「今走ってみたい」たった14年で消滅…今も遺構が残る「廃道」の理由
日本の大動脈である名神高速道路ですが、実は「消滅したルート」が存在するといいます。意外に思える「名神の廃道」に、反響の声が集まっています。
名神の「廃道」に驚きの声
日本の大動脈である名神高速道路ですが、実は「消滅したルート」が存在するといいます。
意外に思える「名神の廃道」に、反響の声が集まっています。

そのルートとは、昔から難所のひとつである「滋賀・岐阜県境」にあります。米原から関ヶ原を抜けて、濃尾平野に至るあいだです。
関ヶ原ICの約3km西側には、かつて悪名高い「今須カーブ」という地点がありました。
上り線が関ヶ原トンネルを抜けたあと、緩やかな左カーブで「今須トンネル」に入っていきます。しかし開通当時は、山の右側(南側)をしばらく真っすぐ東進したあと、急な左カーブで北へ進路を変えていたのです。
その急カーブは曲線半径がわずか280mという凄まじいもので、事故が多発していました。自動車も技術革新とともに速度が上がってくるなか、安全のために今須トンネルで山を貫く新ルートが建設されることになったのです。
この区間の開通年は1964年で、今須トンネルが開通したのは1978年。急カーブの「今須カーブ」ルートはわずか14年でその役目を終えることになってしまいました。
ちょうどこのころ、道路の構造設計の根本的な統一ルールである「道路構造令」が誕生しています。以後、現在に至るまで、新たな高速道路ではこのような急カーブが作られることはなくなりました。
なおこの「廃道跡」は、今も現地では盛土や立体交差部などに、遺構を見つけることができます。また、今須トンネル北側で大阪方面を走っていると、隣にやたらとだだっ広い空間が見えます。これは廃SAというわけではなく、今須カーブ北側のクネクネとしていた旧ルート跡地なのです。現在は道路管理用の資材置き場などに活用されています。
ちなみに同時期に作られた東名でも、たとえば大井松田~御殿場の下り線で「曲線半径300m」という急な左カーブがあり、わざわざ警戒標識で「R=300」と表示があるほど。こちらは手前のカーブでもともとスピードが落ちているという地理的背景もあるのか、放棄して新ルートに付け替えるという措置にはならず、今も健在です。
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今やほんの名残でしか知るすべもない「名神の廃ルート」に、ネット上では「知らなかった」「いきなり出てきたらびっくりだな」「今走ってみたかったな」「あの謎のスペースってそういう歴史あったのか」「現状でもなかなかの急カーブだし、岐阜側はかなりの急坂なのであの辺は緊張しますね」など、様々な声が上がっています。
ほかにもエピソードとして「子どもの頃にオヤジがここを通る度に、直角カーブって言ってたの思い出す」という思い出や、「小学校の修学旅行か遠足からの帰途、バスガイドさんがこのカーブのいきさつを説明してくれたことを覚えています。建設費の節約だったようなことを説明されたが事故が多発したのでトンネルでショートカットとのことでした」というコメントもありました。
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