三菱の「4WD」何がスゴイ? “スーパーセレクト4WD”に「AYC」? 他メーカーとは違う「三菱の取り組み」とは
2023年7月26日に、約9年ぶりのフルモデルチェンジを果たした新型「トライトン」。同車の持ち味は高い走破性を誇る“4WD”ですが、三菱は4WDに対し、どのように取り組んできたのでしょうか。解説します。
戦前から続く4WDの歴史
三菱といえば、「パジェロ」や先日デビューした新型「トライトン」に代表される四輪駆動(4WD)による高い悪路走破性を備えたクルマとともに、「ランサーエボリューション」や「エクリプスクロス」、「アウトランダー」といった乗用車系やSUVにおいても、一般路での高い安定性や旋回性能の高さを4WD技術によって実現したクルマが思いつきます。
三菱はなぜ、こうした4WD技術に強くこだわるのでしょう。歴史をさかのぼりながらその強みを探ってみましょう。
三菱が初めて自動車を手掛けたのは1917年の夏に「A型」と呼ばれる試作モデル(まだ三菱自動車ではなく三菱造船カワサキ造船所)の開発が始まり、翌1918年には完成。生産を開始しているのですから欧州に引けを取らない歴史のある自動車メーカーといえるでしょう。
さらに1935年には6輪駆動のトラック「PSF33型」を開発しただけでなく、軍用の四輪駆動車PX33型を1936年に完成させています。
PX33型は4台の試作車が作られましたが、三菱本社筋で次期尚早との意見も多かったことから、生産には至らなかったようです。
しかし、このころから三菱は積極的に四輪駆動車の研究と開発に力を入れていたことが史実により証明されているのです。
さて、三菱は1952年にアメリカのウイリス社からパーツを輸入し組み立てる、ノックダウン方式で「シープ」の生産を開始。官公庁に納入が開始されます。
そしてついに1953年に純国産化した「ジープ・CJ3型」が登場するのです。そうして三菱といえばジープ、三菱といえば四輪駆動車というイメージが確立していったといえるでしょう。
なぜここまで三菱は四輪駆動車にこだわったのでしょうか。それは、どんな悪路でも安全、安心に行き来できる機動性に着目していたからです。
特にジープにおいては戦後、アメリカ(進駐軍)が持ち込んできたクルマ達を目の当たりにし、その技術力と機動性が当時の日本車のレベルにはないもので、そこに技術者魂に火がついたともいえるかもしれません。
モータースポーツにも積極的な三菱
一方、三菱は1960年代からモータースポーツにも積極的に取り組んでいます。1962年には三菱「500」で第9回マカオグランプリのクラス優勝を遂げていますし、第2回日本グランプリで「コルト1000」がクラス優勝を飾っています。
海外に目を向けても1967年には第2回オーストラリア・サザンクロスラリーで「コルト1000F」がクラス優勝を獲得。1973年にWRC(世界ラリー選手権)が制定されて以降も積極的に参戦し続け、ランサーエボリューションなどの名車を次々と生み出していきました。
もうひとつ、三菱はパリ・ダカールラリーをはじめとした世界一過酷なラリーにも積極的に参戦。1983年に初出場したパリ・ダカールラリーでパジェロが無改造車クラスとマラソンレースで優勝、2位及び最優秀チーム賞を獲得。1985年には総合優勝を飾ります。
トータル26回参戦し、7連勝を含む通算12勝を挙げる快挙を成し遂げているのです。
これで見えるのは大きく2つの流れがあることです。繰り返しますが、ひとつはジープから始まり、パリ・ダカールラリーの参戦車であるパジェロなどのいわゆるクロスカントリーの系譜。そしてもうひとつはランサーエボリューションなどの乗用車系の系譜です。
三菱を一生懸命褒めるのは結構なのですが、昨年買い替えたばかりの公用車のデリカを運転した限りでは、2.5リットルのディーゼルエンジンを積んでいるにもかかわらず、走らん、燃費は悪い、4WDも洗練されているとはとても思えないできでした。三菱、以前のパジェロの方がまだましだったように感じます。
記事が遅いね
3年前に澤瀬さんに取材しとかなきゃ
ニュースとは言えないだろうて