日産が「最後のR35 GT-R」を発表! 17年の歴史に幕… そもそも「GT-R」は何がスゴかった? 「55年間」の歴史とは
2024年3月14日、日産「GT-R」2025年モデルが発表されました。このモデルをもって、GT-Rの歴史は一度幕を閉じることとなりますが、そもそもGT-Rとはどのようなクルマなのでしょうか。振り返ってみます。
最後の「R35 GT-R」発表… そもそも「GT-R」とはどんなクルマだったのか
2024年3月14日、日産は「GT-R」2025年モデルを発表しました。現行のR35型は、この2025年モデルをもって終了となる予定のため、「最後のR35」として注目を集めています。
今回は、GT-Rの登場から現在に至るまでの軌跡を振り返ります。
初めて「GT-R」の名前が世に出たのは1969年のことでした。
日産が展開するスポーティセダン「スカイライン」の3代目モデル(通称「ハコスカ」)に、量産車としては世界初の4バルブDOHCを採用した2リッター直列6気筒の超高性能エンジン「S20」型を搭載し、ツーリングカーレース参戦を目的に誕生したのが、初代GT-Rこと、「スカイライン 2000GT-R」です。
ヒーターやラジオもオミットし、スパルタンなレース用車両そのものでした。
GT-Rの「R」は「Racing」を意味しており、その意味のままに初代GT-Rはモータースポーツ界を席巻。
日産がワークス活動を終了する1972年までに通算52勝(49連勝も達成)と大記録を打ち立てる偉大な伝説を残し、初代GT-Rは国内最高のスポーツカーとしての地位を確立したのです。
その後、1973年1月には2代目GT-R(通称「ケンメリ」)が登場しますが、オイルショックなどを要因としわずか4ヶ月ほどで生産を終了。期待されたレース活動も行われないまま、そこで一度歴史は途絶えます。
そしてバブル真っ只中の1989年5月、8代目スカイラインをベースにした3代目GT-R(BNR32型)が16年ぶりの復活を遂げました。エンジンが異なることからいわゆる「第2世代GT-R」と呼ばれ、初代同様にレース参戦も行っています。
新たに専用設計の2.6リッター直列6気筒「RB26DETT」型ツインターボエンジンや、日産独自の四輪制御機能「アテーサ E-TS」によるフルタイム4WDといった最新のデバイスを搭載。今なお名機と評されるマシンです。
そして、1995年には9代目スカイラインをベースにした4代目GT-R(BCNR33型)がデビュー。
先代よりもさらに走行性能がアップしており、国内外の各メーカーがテスト走行のベンチマークとしているドイツの「ニュルブルクリンク」サーキットのラップタイムを先代比で21秒も早めるなど、まさに「正常進化」といえる出来でした。
その一方で、全長・ホイールベースが広がり、車重が先代よりアップしていることを懸念する声も多く、当初は先代ほどの人気を得ることはできず、悲運のモデルとも言えます。
そんな4代目は1998年に生産を終了。その後を継いで1999年1月に登場したのが、「スカイラインGT-R」としては最後のモデルとなる5代目GT-R(BNR34型)です。
「人に翼を」をキャッチコピーに、当時世界トップレベルの高剛性ボディを採用したほか、ボディサイズが不評だった4代目よりも全長・ホイールベースを短くしたものの、空力性能を重視したマッシブなデザインを採用したのが特徴です。
エンジンには引き続きRB26DETTを搭載していますが、最大トルクが40.0kgf.mまでアップし、トランスミッションも6速MTを採用しました。
BNR34型は極めて高く評価され、2002年11月に生産終了するまでさまざまなグレード・バージョンが発売されました。
その中でも、2002年1月に1000台限定で販売された「VスペックII Nur」は貴重なモデルです。
近年の世界的な国産スポーツカー人気も相まって、オークションでは約5000万円以上で取引されるなど、国産スポーツカー史上屈指の伝説モデルとなっています。
初代ハコスカRのエンジンはもともと当時レースで活躍したR380系のエンジンをほぼそのまま市販車ベースのハコスカに移植した物。GT-Rの事を語るならこれくらい知って欲しいね。因みにケンメリRの生産台数は僅か197台。故にハコスカRより希少価値があり20年前位の価格が軽く400万を超えてたから現在現存してる車体があるなら幾らするのか見当も付かない。
17年も同じモデルを売り続けた台所事情は察するに余りある。今回の生産終了は少し前の取引先への不当値下げ要求の後始末の一環ですよね。
残念な幕引きだ。