なぜマツダは「軽くて楽しい」クルマを作った? 2ドアオープンスポーツ「ロードスター」の誕生秘話、そして次期型は?
1989年に登場した初代(NA)から2015年に登場した現行の4代目(ND)まで歴史を重ねているマツダ「ロードスター」。どのような経緯で誕生したのでしょうか。
ロードスターはどのような経緯で誕生したのか?
マツダが誇る名車「ロードスター」。1989年に登場した初代(NA)から2015年に登場した現行の4代目(ND)まで歴史を重ねています。
そんなロードスターですが、初代はどのような経緯で誕生したのでしょうか。
4代目の開発主査である山本修弘(やまもとのぶひろ)氏がとあるトークショーで誕生秘話を語ってくれました。
山本氏は1973年にマツダに入社し、1996年よりロードスターの開発に勤しみました。
2007年に4代目ーの開発主査に就任すると「ロードスターを守るために変えていく」ことに挑戦。
その努力が身を結び、4代目は日本カーオブザイヤー、そしてワールドカーデザインオブザイヤーのダブル受賞を果たしました。
このトークショーで山本氏は、当時初代ロードスター開発主査の平井敏彦氏から聞いたというロードスターの誕生秘話について集まったファンたちにこう語ってくれました。
「バックグラウンドになることを平井さんに伺ったことがあるんです。
そうすると平井さんがこう言いました。
『マツダが世の中でお客様に愛されて生き残るために何が必要か。それは他の車と競争しないことなんだ。マツダの独自性がないといけないんだ。価格競争に陥ってはいけない。』
なぜかというと平井さんはかつて販売現場に出たことがあるんですよ。車を売ったそのとき、絶えずマツダは値引きで車を売らなければいけなかった、そういうことはもうしたくない。
自分が作る車は競争のいない車、競合しない車を作りたいという思いで作ったと聞きました」
ライトウェイトスポーツカーは1960年にヨーロッパで生まれ世界的にヒットしましたが、時代が進むにつれて排ガス規制や衝突安全の基準が厳しくなり気付けばどこのメーカーも販売しなくなりました。
それから約23年後の1989年にこのような理由で、初代ロードスターとなる「ユーノス・ロードスター」がデビューするのです。
やはり、当時の営業職は20年以上販売実績のない車が売れるはずがないという批判の声も少なくなかったといいます。
しかし平井氏の狙い通り初代ロードスターは大ヒットし、現代でも見かけるほど人気な車種となりました。
そしてロードスターが成功したことを受けて、ヨーロッパの各メーカーがライトウェイトスポーツの販売を再販し、このロードスターの誕生は日本だけでなく世界的にも大きな影響を与える結果となったのです。
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