国枝氏とホンダにどんな関係があった!? 「クルマは必需品」と語る元プロ車いすテニス選手の想いとは
国枝氏がテニスを始めたきっかけ…そして引退を決意した理由は?
ーー テニスをやるきっかけにはどのような背景がありますか。
新しいことにチャレンジするっていうよりも、皆さんがスポーツを楽しむように、ぼくもスポーツをしたかったからテニスをたまたまやっているだけで、そもそも(最初は)そんなにテニスをしたくなかったんです。
子供の頃は少年野球をやっていたので、いつか野球選手になってやるという気持ちでやっていて、テニスは、僕の中では伊達公子さんがアイコンだったので、「女性のスポーツ」という印象があったんですよね。
「あんまり気乗りしないなぁ」っていう中で、たまたま家から30分くらいのところにテニスクラブがあって、そこでは、当時から車いすテニスのレッスンがあったんです。
そんな民間のテニスクラブって世界中探してもそこしかなくて、家から30分のところにあるなんて最初の運命でしたね。
当時スラムダンクが流行っていて、みんなバスケ部に入る中、ぼくもそれに混ざりたかったんで、夕焼けチャイムがなる中でずっとバスケをやっていました。
車いすバスケがやりたかったんです。でも車いすバスケのチームが家から1時間半くらいかかった。
少し遠かったので、母がテニスクラブに連れていったっていう経緯があって、行ってみたらテニスの概念がガラっと変わりました。
「こんな激しいスポーツだったの?」ってところと、車いすの人達とも初めてそこで出会って、自分たちでクルマに乗ってテニスクラブに行ったり、車いすを自分たちで載せて、降ろしてというところを見て、「あ、車いすでも全然一人で生きていけるじゃん」って思ったんですね。そこで彼らからすごく大事な何かを学んだと思いますね。
ーー 引退を決意した理由をおしえてください。
パラリンピックの東京開催が2013年に決まってから、コロナで1年延びて、8年を費やしました。
8年分の想いがこもったのがあの舞台だったので、金メダルを取れて燃え尽き症候群も経験しました。
でも2022年はウィンブルドン(選手権)が残っている状況だったので、それに向かって、「なんとかそこまでは」という気持ちでやり、その想いが実ったのか、最終的にそこで優勝できて、芝生のコートでみんなと抱き合ったときに「もうこれで引退だな」と口に出たときに、もう十分やり切ったといえるテニス人生だと思いました。
アスリートって野心を持っていないといけないと思うんですよ。それがぼくの中から消えてしまったんですね。
この感じのままプレーするのは、自分が今までやってきたことに反するので、ラケットを置く決断をしました。
ーー 現役を引退してから気持ちの変化や変わったことはありますか。
朝起きてから身体の調子をチェックしなくなりましたね。現役のときより、よく眠れるようになりました。
現役時代は大会が迫ってくるとストレスを感じていたし、眠れなかった。そこからは解放されましたね。
朝ごはんとかも、9時半くらいまで寝てしまったときは、「もう食べなくていいや」という感じになってきましたね。
現役中は食べることも仕事だったので、「食べるっていう仕事も、今はしなくていいや」という気持ちになっていますね。
あとは、自分に「俺は最強だ」という風に言わなくなりましたね(笑)。
※ ※ ※
最後に、夢を追いかけてチャレンジする人達に国枝氏は次のように語っていました。
「僕自身、何かにチャレンジしているときが一番楽しい。これからもそうありたいと思っています。
失敗も今まで何度もありましたが、間違ったらやり直せばいいし、戻ってくればいいと思っているので、とにかくなんでもやってみるということがキャリアを通して学んできたことです」
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