2200万円の「真っ赤な国産スーパーカー」現る!? 新車800万円のオールアルミボディ「NSX」が海外で高騰! どんな個体?
1989年に発表されたホンダ「NSX」は、量産車としては世界初のオールアルミボディを採用するなど、その革新的な技術とパフォーマンスによって、その後のスーパーカーに多くの影響を与えました。そんなNSXがおよそ2200万円という価格でアラブ首長国連邦・ドバイで販売されています。
世界に衝撃を与えた、国産スーパーカーの金字塔!
1980年代の日本の自動車産業は、コストパフォーマンスの良さや耐久性の高さが魅力の大衆車を世界中に輸出することで、まさにこの世の春とも言える時代を過ごしていました。
一方、高いパフォーマンスとそれを可能とする機能美にあふれたスタイリングを持つクルマ、つまり、スーパーカーについては欧米の自動車メーカーの独壇場が続いていました。
そんななか、世界に衝撃を与えた、国産スーパーカーとはどのようなクルマなのでしょうか。
当時、ホンダはミッドシップ(MR)のハイパフォーマンススポーツカーの開発を着々と進めてきました。
そして日本がバブル経済の真っ只中にあった1989年に「NSX」が発表され、翌1990年から日本や北米、欧州での販売を開始。
発売当初の価格は800万円からと、当時の日本車としてはもっとも高価なモデルの1つであったNSX。
ワイド&ローの美しいデザインを持ち、さらには量産車としては世界初のオールアルミボディが採用されるなど、これまでの日本車とは明らかに一線を画するものでした。
心臓部には3リッターV型6気筒エンジンが搭載され、最高出力はAT仕様で265PS、MT仕様で280PSを発揮。
280PSを上限とする当時の日本車の馬力規制の影響を受けたNSXは、その後登場した「タイプR」などの高性能仕様でも最高出力は280PSとなっていました。
しかし、その高いハンドリング性能は、多くの人から評価され、とくにマクラーレン「F1」やメルセデス・ベンツ「SLRマクラーレン」などのスーパーカーの開発を手掛けたゴードン・マレー氏はNSXを絶賛したといいます。
バブル経済を追い風に、発表当初は多くの予約を獲得したNSXは、バブル崩壊とともに、その後多くのキャンセルが発生するなど、苦難の時期を経験しながらも度重なる改良が加えられながら2005年まで販売が続けられました。
排出ガス規制の影響から惜しまれながら引退することとなったNSXですが、国産スーパーカーの金字塔として、いまなお多くのファンを魅了しています。
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