2億5000万円の価値を持つ「F40」 なぜ「走る不動産」と呼ばれた? バブル象徴するスーパーカーとは
「走る不動産」と呼ばれたF40、その理由は?
F40が発表された当時、日本は空前の好景気に沸いていました。経済大国としての世界に君臨していた日本には多くのスーパーカーが輸入され、F40はその中心的存在でした。
公式にアナウンスされた新車価格は4650万円で、日本には59台が正規輸入されたといわれています。
しかし、実際にはかなりの台数が並行輸入によって日本へと渡ったようです。
それを裏付けるように、F40はスペチアーレモデルでありながら1351台という多くの台数が生産されています。
先代のスペチアーレモデルである「288GTO」が272台、後継の「F50」が349台であったことと比べると、F40の生産台数がいかに突出していたかがうかがえます。
フェラーリは当初400台程度の生産を考えていたといいますが、日本からの圧倒的なオファーにこたえて、生産台数を増やしていったといいます。
その多くは純粋な愛好家だったと見られていますが、その一部には現代における「転売ヤー」のような人もいたようです。
その背景には、新車価格4650万円のF40の流通価格が、最大で2億5000万円にも及んでいたという当時の狂乱ぶりがあります。
バブルに沸く当時は、都市部の土地を購入しその後すぐに売却した場合でもかなりの儲けが出たため、利にさとい人々は「土地転がし」に勤しんだといいます。
同様に、F40を「転がす」ことで多くの儲けが得られたことから、F40は「走る不動産」と呼ばれることもありました。
もちろん、F40はクルマであるため「不動産」ではなく「動産」なのですが、当時の世相を表すエピソードのひとつとして、いまなお語り継がれています。
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良くも悪くも、バブルの日本に踊らされたF40ですが、おそらく、そうした時代背景がなくとも、歴史に残る名車となったことは疑う余地もありません。
実際、F40は、近年のオークションにおいて、2億5000万円程度の価格が相場となっています。
つまり、バブルの熱が冷めた現在でも、F40の価格は高値を維持しているということです。
当時の日本に多く輸入されたというF40ですが、現在では海外の愛好家のもと渡ったものも少なくないようです。
しかし、いまだに多くのF40が日本には生息しているといい、いまなお色褪せぬ輝きを放っているようです。
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