2億5000万円の価値を持つ「F40」 なぜ「走る不動産」と呼ばれた? バブル象徴するスーパーカーとは
「走る不動産」と呼ばれ、バブルを象徴するスーパーカーとなったフェラーリ「F40」とは、どんなクルマだったのでしょうか。
フェラーリ屈指の名作、それが「F40」
フェラーリ「F40」が発表された当時、日本は空前の好景気に沸き、まさに狂乱の時代を迎えていました。
そんな時代のなかで「走る不動産」と呼ばれたF40は、どんなスーパーカーだったのでしょうか。
新車価格が1億円をゆうに超える「ハイパーカー」が続々と登場している昨今ですが「走る不動産」という異名を得たクルマはフェラーリ「F40」をおいてほかにはありません。
1987年9月に開催されたジュネーブモーターショーで発表されたF40は、フェラーリ創設40周年を記念した特別なモデル、いわゆる「スペチアーレモデル」です。
ピニンファリーナの手によるF40のエクステリアデザインは、まぎれもなくスーパーカーのそれでありながらも、どこか奇妙ささえ感じます。
それは、モノコックとサブフレームが組み合わさったミッドシップレイアウトによる、ロングノーズ&スモールキャビンという往年のスーパーカーらしいシルエットを持ちつつも、カーボンファイバーをはじめとした、当時最先端の軽量素材を多く用いた現代的なボディラインとのコラボレーションから生み出されるものでした。
F40の心臓部には、最高出力478馬力を発揮する3リッターV型8気筒ツインターボエンジンが搭載されています。
1250kgという軽量ボディと、エアロダイナミズムを駆使したボディとが相まった結果、F40の最高速度は324km/hにもおよびました。
300km/h超えの最高速度を持つことがスーパーカーの証とされた当時ですが、実際には300km/h以上のスピードを出すことのできないモデルも多かったといいます。
しかし、F40は自動車メディアのテストなどで実際に324km/hを記録するなど、名実ともにスーパーカーといえる存在でした。
一方、インテリアはエアコンこそ備わっているものの、レッドのクロス張りのスポーツシートやフェルトが貼ってあるだけのダッシュボードなど、レーシングカーさながらのスパルタンなつくりとなっていました。
それもそのはず、F40はフェラーリの創設者であるエンツォ・フェラーリの「そのままレースに出られる市販車をつくる」という夢を具現化したモデルだったのです。
そのため、F40を走らせるためにはレーシングドライバー並のテクニックが必要だったといいます。
現在の「ハイパーカー」のほとんどは、電子制御技術が多く備わっているため、億単位のクルマのハンドルを握るという度胸さえあれば、走らせること自体はそれほど難しいことではありません。
しかしF40の場合、当時の現役F1ドライバーであるゲルハルト・ベルガー氏をもってしても「雨の日には乗りたくない」といわしめたほどの「じゃじゃ馬」ぶりでした。
また、真偽不明のものも含めればF40の事故に関するエピソードは枚挙にいとまがありません。
このように、単に高価かつ希少なスーパーカーであるだけでなく、乗り手を選ぶといった点が、F40をいまなお伝説の存在としているといえます。
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