もう二度と作れない!? 気合の入り方がハンパなかった車3選
新型車の開発では、いかにユーザーニーズを捉えるか、また、いかにコストをかけないかのふたつが重要ではないでしょうか。しかし、そうした課題とは異なる部分に注力されたクルマも存在。そこで、開発に対して気合の入り方がハンパなかったクルマを、3車種ピックアップして紹介します。
相当に気合が入ったクルマを振り返る
各自動車メーカーが新型車を開発する際には、膨大な時間や労力と莫大な資金が投入されます。そのため、ユーザーのニーズをいかに捉えるか、また、どれだけコストの削減ができるかのふたつが重要な課題といえます。
実際に自動車メーカーは数年後のニーズを予想するために常にマーケティングをおこない、生産にはボルト1本、1円未満まで厳格なコスト管理をしています。
生産量が少なく顧客が限られている超高級車以外、概ねすべてのクルマはこうした努力のもと開発されているといっていいでしょう。
しかし、大量生産される量産車でありながら、こうした課題とは異なる部分に注力されたクルマも存在。
そこで、開発に対して気合の入り方がハンパなかったクルマを、3車種ピックアップして紹介します。
●スズキ「カプチーノ」
まさにバブル景気が弾けようとしていた1991年から1992年というこの2年間に、日本の自動車史に輝く3台の2シーター軽自動車がデビューしました。
そのなかの1台が1991年に登場したスズキ「カプチーノ」で、ほかに同年にホンダ「ビート」、1992年にはオートザム「AZ-1」がデビューし、後年にはそれぞれの車名の頭文字から「平成のABCトリオ」と呼ばれました。
このカプチーノは、ロングノーズ・ショートデッキの古典的なスポーツカーのフォルムを採用したFR車で、ルーフはクローズド、Tバールーフ、タルガトップ、フルオープンと、世界初の4形態にチェンジできる画期的なものでした。
また、シャシはカプチーノ専用に設計され、ボディパネルはボンネットと脱着式ルーフ、格納式のリアピラーがアルミ製とされたことで700kgと軽量な車体を実現。
内装はかなりタイトで、メーターパネルのセンターには8500rpmからレッドゾーンで1万2000rpmまで刻まれたタコメーターを配置するなど、スポーツマインドあふれるコクピットとなっていました。
エンジンは「アルトワークス」と同型の660cc直列3気筒DOHCターボで、最高出力64馬力を発揮。これを縦置きに搭載し、トランスミッションは5速MTが組み合わされ、1995年のマイナーチェンジではエンジンの換装とともに3速ATも設定されました。
また、足まわりは軽自動車では初の4輪ダブルウイッシュボーンを採用し、ブレーキもフロントがベンチレーテッドディスクの4輪ディスクとするなど、軽自動車という枠を超えた本格的な仕様となっていました。
発売時のカプチーノの価格は145万8000円(消費税を含まず)と、当時の水準では高額でしたが、内容を考えるとかなりのバーゲンプライスだったといえるでしょう。
その後カプチーノは1997年に、一代限りで生産を終了しました。
●日産「マーチ スーパーターボ」
日産は1982年に、次世代のグローバルコンパクトカーとして初代「マーチ」を発売。巨匠ジョルジェット・ジウジアーロが手掛けたシンプルなデザインに、優れた経済性とパッケージングによって、日欧で大ヒットを記録しました。
そして、ちょうど同時期には各セグメントでパワー競争が勃発しており、1985年に「マーチ ターボ」が登場。さらに1988年には、ラリーを始めとしたモータースポーツベース車として開発された「マーチR」がデビューしました。
このマーチRをベースに装備を充実させ、日常での使用にも適したホットハッチとして1989年に発売されたのが「マーチ スーパーターボ」です。
マーチ スーパーターボの最大のトピックスはエンジンで、マーチRと同じ930cc直列4気筒SOHCの「MA09ERT型」を搭載。
MA09ERT型はターボチャージャーとスーパーチャージャーの2種類の過給器が装着された、日本初のツインチャージャーエンジンで、最高出力110馬力とクラストップのパワーを誇りました。
ちなみにスタンダード仕様のマーチのエンジンは52馬力でしたから、MA09ERT型は実に2倍以上の出力絞り出すパワーユニットでした。
また、車重はわずか770kgと軽量で、パワーウェイトレシオは7kg/psを実現。加速性能は1.6リッターエンジン車に匹敵しました。
内装では3本スポーツのステアリングにスポーツシートが装着され、インパネのセンターに時計、電圧計、ブースト計の3連サブメーターを配置してチューンドカーをイメージされていました。
これほどまでハイパワーなマーチ スーパーターボですが、シャシ性能がエンジンに追いついていなかったという印象は否めず、実際にドライブフィーリングはかなりの「じゃじゃ馬」でした。
●ホンダ初代「インサイト」
トヨタは1997年に、世界初の量産ハイブリッドカーの「プリウス」を発売。プリウスは同クラスの2倍の燃費性能を誇り、世界中の自動車メーカーに大きな影響を与えたエポックメイキングなクルマでした。
この初代プリウスに追従するため、各メーカーともハイブリッドカーの開発に注力するようになり、1999年にホンダが、ハイブリッド専用車の初代「インサイト」を発売しました。
シャシは「NSX」で培った技術を応用したオールアルミ製モノコックを採用。ボディ外板もアルミ製とプラスチック製のパネルで構成され、さらに室内は2シーターと割り切り、車重はわずか820kg(MT車)を実現しました。
また、外観デザインは空力性能に特化した結果、スポーツカーそのものといえる極端なウェッジシェイプの3ドアハッチバッククーペとされ、さらにリアタイヤまわりをスパッツで覆うことで、空気抵抗係数のCd値は当時としては驚異的な0.25を達成していました。
この軽量かつ優れた空力性能のボディに、最高出力70馬力を発揮する新開発の1リッター直列3気筒エンジンと、13馬力のアシスト用モーターを搭載し、燃費性能はプリウスを上まわり、量産車で世界最高となる35km/L(10・15モード)を記録。
しかし、初代インサイトは2シーターというネガティブな要素が災いして販売は極端に低迷。また、2003年には2代目プリウスが登場し、出力向上と同時に燃費は35.5km/L(10・15モード)を達成し、使い勝手も優れていたことで大ヒット記録しました。
そこで初代インサイトは2004年の改良で、36km/L(10・15モード)まで燃費向上が図られました。しかし、もはや販売面では2代目プリウスに太刀打ちできるレベルになく、2006年に生産を終了。
そして3年ほどのブランクの後、2009年に5ドアハッチバックボディで5人乗りとなった2代目インサイトがデビュー。実用性が一気に向上してヒット作になりましたが、シャシやボディは一般的なスチール製となり、技術的には初代ほどのインパクトはありませんでした。
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最初に紹介したカプチーノは、バブル景気という好景気を背景に誕生し、マーチ スーパーターボは「パワーこそ正義」という時代を反映したかたちでした。
そして初代インサイトは、燃費世界一を目指すという明確な目標があって開発されたモデルです。
どれも相当に気合が入ったクルマでしたが、今後は革新的な電池を搭載した次世代型のEVが、新たな「気合が入ったクルマ」として期待されます。
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