「俺、地獄に行ったんだ…」 生きて「地獄&極楽」に行ける場所が愛知にあった! 郷土史に見る由来とは
全国には変わった地名が各地に存在しますが、愛知県にはある変わった地名が存在するといいます。どういった地名が名付けられているのでしょうか。
日本に「地獄」に行ける場所があった!その場所とは一体?
全国には変わった地名のつく場所が各地に存在しますが、なかでも愛知県にはある変わった地名のつく場所が存在するといいます。どういった地名が名付けられているのでしょうか。
愛知県には、「地獄」という地名のついた地域が存在するといいます。
その場所は国道23号岡崎バイパスの幸田須美ICからクルマで5分ほどの場所に位置し、須美北山と大岩山のふたつの山に挟まれた細長い地域です。
SNSでは、この地獄という地域を訪れたというユーザーのシュバルツ写真館(@schwarzeonphoto)さんが、「地獄の道は意外にもコンクリで舗装されていた。愛知県額田郡幸田町須美『地獄』」というツイートとともに1枚の画像を投稿。
画像には、左に「立入禁止」と書かれた看板が設置されているほか、1本の細い道が続いている様子が伺えます。
この場所に訪れた理由について、シュバルツ写真館(@schwarzeonphoto)さんは以下のように話します。
「近隣の地名を地図で検索した際に出てきたことから、一度『地獄を見てきた』と胸を言ってみたかったのもあり、仕事帰りの夕方にふらっと訪れてみました。
地獄に訪れてみて、西洋のことわざに『地獄の道は善意で舗装されている』とあるようですが、善意とはコンクリートのことだったんだなと。
何もない果樹園の一角にあるので思わぬところに地獄は潜んでいるんだなと思いました」
地獄と聞くと、苦しみを味わう、苦を味わうといったイメージを想像する人も多いかもしれませんが、愛知県にある地獄は地名に似つかない、のどかな田園が広がっている地域でした。
では、なぜこの地域に地獄と名付けられたのでしょうか。これについて幸田町役場の担当者は「地獄の地名について『須美郷土誌』という郷土史に伝説として掲載があります」と話しています。
この資料には、「平将門の乱のうち一族郎党が捕えられ、須美の産地の石牢に入れられた」と記載されており、この頃に地獄という地名がつけられたのではないかという説が唱えられています。
また続けて「かつて村に住んでいた古老から、今の須美北山のあたりには石牢のようなものがあって遊んだこともあったと聞いたが、今は開墾などで壊され見ることはできない」とも記載されています。
あくまで諸説でありますが、こうした歴史も地獄という地名の由来がつけられたことに関係しているといえます。
また同じく愛知県内の知多郡東浦町には「西地獄」「地獄谷」と呼ばれる地名も存在しており、愛知県にはいたるところに地獄に名のつく地域が存在しているようです。