昭和のドライブは大変だった!? ナビやETCが存在しない時代のドライブ事情とは

高速道路の料金所では支払いに大忙し!

●小銭の用意

 いまでは高速道路利用者の93%以上がETCを利用しているというほど、ETCが一般的になりましたが、1960年代は当然ETCありませんでした。

 クレジットカードはあってもごく限られた人のもので、一般の人にはほとんど普及していなかったこともあり、高速道路の利用料金は現金で支払っていました。

 そのため高速道路を利用するとき、助手席の人は大まかな料金を事前に予想しておき、財布から取り出しておいたものです。

ETCがない時代、高速料金は現金で支払っていた
ETCがない時代、高速料金は現金で支払っていた

 首都高速(当時)のような定額制の有料道路で、入り口で利用料金を支払う料金所はいいのですが、距離による従量制で、出口で支払うときには大変忙しくなります。

 助手席の人は、ドライバーが通行券を係員に渡して料金が表示されると、過不足なくお金をドライバーに渡し、おつりがあればそれを受け取るということをしていました。

 銀行ATMが出来たのは1970年代でしたが、銀行は土日休みで、お金を下ろすことはできません。ドライブ前になるべく小銭も紙幣も十分に用意しておく必要がありました。

 2人の場合でもこのように大変なのですから、ドライバーだけの1人ドライブの際には、「料金所が少し混雑していないかな」と思ったものでした。

●ラジオの役目

 いまも昔もかわらず、運転中にラジオを聴くことは眠気防止にもなります。人によって好みはあるでしょうが、音楽番組は快適で眠気を誘うとか、トーク番組やニュースは刺激があって良いとか、自分にとって必ずしも心地よくない音も、眠気覚ましのうえでは効果を発揮します。

 また、ラジオは娯楽のためだけの道具ではなく、刻々と変化する気象情報や交通情報の入手手段でもあります。

 いまでは交通情報や気象情報に加え、ニュースなども表示されるナビもありますが、当時はラジオから情報を得ていました。

 ドライバーは予定している経路の気象情報をラジオから入手し、状況によっては一時的に雨をやり過ごしたり、引き返す判断をすることも重要な仕事だったのです。

 また、ラジオによる交通情報は、土地や交差点の名称と距離で伝えられることから、土地の名前がわからなければドライバーは状況を把握できません。目的地だけでなく通過予定の地名や位置も知っておく必要がありました。

 そして混雑状況によっては迂回ルートを取ることもありましたが、市町村名と位置関係、道路構成、迂回した際の距離と余分にかかる時間、渋滞に巻き込まれた場合の時間を推測し、ルートの判断していたのです。

※ ※ ※

 昭和時代のドライブは、現在のように高速道路網が張り巡らされ、カーナビゲーションに目的地を入力し、アダプティブクルーズコントロールを用いた気軽なドライブとはまったく違っていました。

 ドライバーはそのために経験と知識を積み上げ、訓練をする必要がありました。

 時には、太陽や月、樹木の茂り具合から東西南北を判断し、進行方向を決定する必要すらありました。

 それこそ、運転テクニック以外での「ドライブテクニック」がものをいう時代だったのかもしれません。

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