クラシック・アルファ ロメオを支える謎の団体「スクーデリア デル ポルテッロ」の本拠地に潜入取材敢行!

アルファ ロメオのクラシックカーが出走するレースやイベントでいつも見かけるトランスポーター。その真っ赤なトランスポーターを率いている団体の秘密に迫る。

イベントでいつも見かけていたトランスポーターの正体

Writer:野口祐子(NOGUCHI Yuko)
Photographer:Luca Danilo Orsi

 サーキットイベント会場に、Scuderia del Portello(スクーデリア デル ポルテッロ)の真っ赤なトランスポーターが鎮座し、それを背景にモータースポーツ界に数々の歴史を残して来たアルファ ロメオコンペティションカー、「ジュリアGTA」、「Ti Super」、「ジュリエッタ」、「1900」、「Tipo 33フレロン」、「Sud」のボクサーエンジンを搭載したフォーミュラーカーなどがずらりと並ぶ。あたり一帯、アルファ ロメオの世界観一色の圧巻な空気が漂う。

 この真っ赤なトラスポーターを見るたびに、条件反射のようにサーキットで戦ったアルファ ロメオの勇姿を思い出す。やっぱりアルファ ロメオはサーキットが似合う。

 さて、いつもイヴェント会場でアルファ ロメオのコンペテイションカーを率いているスクーデリア デル ポルテッロとは、いったいどんな団体なのだろうか。

サーキットイヴェントにはいつもスクデリア デル ポルテッロのトランスポーターと参加車両が展示される
サーキットイヴェントにはいつもスクデリア デル ポルテッロのトランスポーターと参加車両が展示される

●スクーデリア デル ポルテッロとは?

 スクーデリア デル ポルテッロは、1982年2月3日にアルファ ロメオ本社内で結成されたアルファ ロメオ社のクラシックカー・コンペティション部門の公式なクラブだ。

 Scuderia(スクーデリア)とはイタリア語で馬小屋、クラブ、チームの意味があり、Scuderia Ferrari(スクーデリア フェラーリ)のように、チームの名称として使われる場合が多い。Portello(ポルテッロ)はミラノの北西にある地区の名前である。

 当時、クラッシックカーに焦点を当てるというコンセプトで生まれた自動車専門雑誌『AutoCapital』の編集長、ルカ・グランドーリを中心に、アルファ ロメオのクラシックカー・コンペティションをこよなく愛するジェントルマン ドライバー達が集まったのが始まりだった。

コレクションの中央にイタリアンカラーが入っているアルファ ロメオ「ジュリアTi スパー」が
コレクションの中央にイタリアンカラーが入っているアルファ ロメオ「ジュリアTi スパー」が

●ポルテッロとアルファ ロメオの関係は?

 1910年、ミラノのポルテッロ地区にアルファ ロメオ社の前身であるALFA (”Anonima Lombarda Fabbrica Automobili”)が誕生。当時のポルテッロ地区はミラノの郊外で、辺り一面大草原だったという。後にAlfa Romeo社と社名変更し、社の発展と共にその一帯が大成長を遂げひとつの街に成長し、アルファ ロメオといえばポルテッロとまでいわれるようになった。しかし、1960年代後半に入り、アルファ ロメオ社は工場拡大のため、本拠地をポルテッロからアレーゼに移転することになった。

 こうした経緯もあって、イタリアが誇る自動車メーカーアルファ ロメオ社の長い歴史の出発の地であるポルテッロに敬意を表して、スクーデリア デル ポルテッロと命名したのである。

 アルファ ロメオ社はビショーネのマークを背負い世界中のサーキットで活躍するスクーデリア デル ポルテッロのテクニカル面をサポートするところから始まった。それ以降スクーデリア デル ポルテッロはビショーネのマークの宣伝とその歴史、および技術的遺産の維持、継承を伝えるべく、走り続けている。

 戦前から数々の名車を世界中のサーキットに送り込み、走る勇姿を見せることで世界中の観客を虜にし、輝かしい成績を歴史に刻んで来たアルファ ロメオ。アルファ ロメオが走り続けることは、アルファ ロメオがアルファ ロメオである証なのである。

 その証を守り続けているのが、スクーデリア デル ポルテッロなのだ。走り続けることは、モータースポーツ界でのアルファ ロメオの存在意義を後世に伝えていくための重要な活動だ。アルファ ロメオ社にとって、スクーデリア デル ポルテッロは走るパブリシティ、なくてはならない存在なのだ。

アンドレア・カイアーニ氏(左)とその父マルコ・カイアーニ氏(右)。 「Tipo 33/2 フレロン」(1967年)(左)と「Tipo 33 TT3」(1971年)(右)
アンドレア・カイアーニ氏(左)とその父マルコ・カイアーニ氏(右)。 「Tipo 33/2 フレロン」(1967年)(左)と「Tipo 33 TT3」(1971年)(右)

 1990年、クラブの規約がクラシックカーのコンペティションカーだけでなく現行車のコンペティションカーも加わった。それを機に現在のロゴに変更。1950年ポルテッロの工場で初めて市販車として生産されたというアルファ ロメオ「1900」のラジエーターグリルを形取り、中にアルファ ロメオのロゴとチェッカーフラグ、そしてスクーデリア デル ポルテッロの文字を組み合わせた。もちろん背景は赤、サーキットを連想させる勢いがあるスクーデリア デル ポルテッロにふさわしいロゴだ。

 そのアルファ ロメオ1900の当時の宣伝のキャッチフレーズは「Auto di famiglia che vince le corse(レースで優勝するファミリーカー)」だったという。戦後直ぐに「レース」という言葉をファミリーカー販売の謳い文句に使っていたほど、アルファ ロメオのブランドイメージはスポーティであったのだ。それは現在に至るまでアルファ ロメオのイメージとして引き継がれている。

 スクーデリア デル ポルテッロの会員は19か国に及び、40年にわたる活動期間で約200人の会員が世界中のサーキットで走り続け、アルファ ロメオの走る姿を観客に披露しているという。自らをMuseo Dinamico──ダイナミックなミュージアムと称するスクーデリア デル ポルテッロ。そうスクーデリア デル ポルテッロはガレージに収まっているアルファ ロメオをサーキットに運び、そこで思いっきり、ダイナミックに走り続けているのだ。

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