女子大生キラー「ソアラ」誕生物語 元祖ハイソカーは40周年
「ソアラ」と白洲次郎の物語
ところで、岡田稔弘とソアラといえば忘れてはならないのが、あの白洲次郎との交流にまつわる逸話であろう。
●2代目ソアラは「かけがえのないクルマ」

大正初期にあたる英国留学時代にはベントレー「3リッター」やブガッティ「T35」を愛用していたほどのエンスージアストだった白洲次郎は、発売直後に初代ソアラを購入する。
しかし、そこは次郎のことである。独自の鑑識眼に基づく、歯に衣着せぬ批評を当時のトヨタ自動車社長、豊田章一郎にぶつけた。次郎の慧眼と知識を知る豊田はその忠告を生かすべく、ソアラ開発責任者の岡田を次郎に紹介することにした。
さっそく次郎のもとを訪れた岡田は、次郎の見識の深さに驚いたという。そして、彼の眼鏡に適う2代目ソアラを作りたいと考え、何度も次郎のもとを訪れることになる。一方、岡田の熱意にほだされた次郎は、もう1台の愛車であるポルシェ「911」をトヨタ東富士試験場に持ち込み「次期ソアラを作る際の参考にせよ」と提供してしまうのだ。
このとき次郎が岡田に語ったのが「No Substitute」という言葉。「かけがえのないクルマ」という意味である。この短いフレーズで、トヨタが目指すべきソアラのありかたを示したという。
しかし、2代目ソアラの誕生を待つことなく次郎はこの世を去った。岡田は、彼の教えを体現した新型ソアラに乗って白洲家の墓前を訪れ、その完成を故人に報告したという。
本物のクルマには、しばしば人間と人間の物語が生まれる。これは、その最たる例というべきだろう。


















