生誕40周年! ジウジアーロが手がけた「ピアッツァ」誕生のヒミツ
ショーカー「アッソ・ディ・フィオーリ」のその後
1981年6月に、ピアッツァは華々しいデビューを飾ることになった。その傍ら、ジュネーヴ・ショーおよび東京モーターショーでのレビューをすべて終え、市販クーペ「ピアッツァ」としての生産化プログラムも無事コンプリートさせたことで、美しき「アッソ・ディ・フィオーリ」も、当初の役割を終えることになった。そして、華やかなショーカーに待ち受ける宿命として、解体されてしまう可能性も高かったとされている。
●アッソ・ディ・フィオーリのその後

しかしいすゞ社内、とくにデザイン部においては、のちに「アスカ」や初代FFジェミニにも継承されるデザイン言語「カプセルシェイプ」を決定づけた名作を葬り去ることなどできない、とする思いが強かったという。また、実走可能な試作車だったことから、本社工場敷地内での連絡車両として命をつなぐことになったのだ。
それでも1980年代中盤には社内連絡車両としての役目も終え、暗い倉庫でホコリを被ることになってしまったのだが、2000年を迎えて状況は大きく好転。いつしか社内でも忘れ去られた存在となっていたアッソ・ディ・フィオーリの再生計画が持ち上がった。
この時期、いすゞは乗用車の国内販売を終えようとしていたのだが、「いすゞの文化遺産を次世代に伝えたい」あるいは「このような乗用車で培ったブランドイメージを今後開発するモノに生かしたい」と切望していた社員たちが、有志でレストアチームを結成。失われていたダッシュパネルやデジタルメーターを、写真を頼りに作り直すなどの奮闘を重ねた。
そして2000年4月から約1年間におよぶ作業のもと、アッソ・ディ・フィオーリは、みごと現在の美しい姿を取り戻すこととなったのである。
レストア後のアッソ・ディ・フィオーリは、長らく愛知県のトヨタ博物館に貸与され、企画展などにも出品。その後いすゞに戻ったのちも、しばしば社内外のイベントなどでお披露目されてきた。
実は2021年3月下旬から、神奈川県藤沢市の「いすゞプラザ」にて、数年ぶりとなる展示がスタートしている。現状では8月ごろまでの展示が予定されているとのことなので、この機会にぜひとも足を運んでみてはいかがだろうか。






















