生誕40周年! ジウジアーロが手がけた「ピアッツァ」誕生のヒミツ
フェンダーミラーもジウジアーロがデザインした
いすゞの起案したコンセプトからスタートし、イタルデザイン社によって完成に至ったプロトタイプ「SSW」には、一度は欠番となった「アッソ・ディ・フィオーリ」が再び命名され、1979年3月のジュネーヴ・ショーのイタルデザイン社ブースにて、堂々のワールドプレミアを飾った。
●生産モデル“ピアッツァ”への昇華
極端にシャープなノーズとリトラクタブルのライトカバーが織りなす、超モダンなスーパーカー的アピアランス。およびエクステリアに負けず未来的なインテリアは、たちまち世界中の自動車エンスージアストを魅了することになる。
また同年秋の東京モーターショーでは、ホイールのデザイン変更やサイドマーカーの追加など、よりピアッツァに近いディテールが加えられるとともに、いすゞ主導の試作車であることを暗示する「いすゞX」のネーミングも与えられたうえで再登場。巷では市販を待望するリクエストが、日に日に高まっていた。
しかし実際のところ、ジュネーヴ・ショーにて発表された時点では、生産化、すなわち後の「ピアッツァ」に至る道筋が、既に正式スタートしていたという。
その概要はアッソ・ディ・フィオーリと同じく、PF系ジェミニをベースとするFRの5座クーペで、2リッターに拡大された4気筒エンジンは上級グレードの「XG」と「XE」がDOHC、ベーシック版がSOHCとされた。
そして117クーペが生産化された時と同様、ピアッツァ生産化計画においても素晴らしい能力を発揮したのが、いすゞ社内のデザインチームだった。
いすゞのデザインチームは、初代デザイン部長となった故・井ノ口誼が率いていた時代から、技術力および見識の高さでは、日本の自動車メーカーのなかでも特別な存在だったとされている。そんな彼らにとっても、生産化を意識してデザインされていたとはいえ、一品製作のコンセプトカーとして製作されたアッソ・ディ・フィオーリを量産車として仕立て直すための作業は、大変な苦難だったという。
その一方で、ピアッツァ発売ののちファンやメディアたちから「日本独自のデザイン」と勝手に決めつけられ、酷評を受けることになってしまったフェンダーミラーも、実は日本の交通法規を考慮してジウジアーロ自らデザインするなど、生産化プロセスについてもイタルデザイン社が密接に関与していた。
そして、いすゞの生産化担当デザイナーが足しげくイタリア・トリノまで通い、長期逗留する。あるいは、ジウジアーロ自身もしばしば藤沢のいすゞ本社開発室を訪れ、両者の間では活発な議論が交わされた。そして、ジウジアーロによる美的側面と実用性の両立を図るべく、ミリ単位にもおよぶシビア極まる調整作業がおこなわれたとのことである。
その結果、同時代のPF系(初代)ジェミニのコンポーネンツを使用するという厳しい条件を満たしつつ、ほぼアッソ・ディ・フィオーリを再現した生産型ピアッツァの実現に至ったのだ。
こうして誕生したピアッツァは、まさしく日本自動車史における金字塔ともいうべき1台となった。生産モデルとは思えないほどに美しいクーペは、イタルデザイン社、そしていすゞ自動車のなかから誰一人欠けたとしても、完成には至らなかったに違いないであろう。
いすゞのピアッツァ もう40年になるんですね。
当時高校生だった私は、「何と丸い不格好な車(一部ではおばさんが前屈をした車って言われてた)」と思いましたが、当時は角ばった車ばかりだし いすゞと言うこともあって後発のFFジェミニが売れて、さらにASKA(あすか)も売れたけれど、ピアッツァはパットせず何度か限定車で繋いでフェードアウトの印象でした。
いすゞの協力会社に勤めていた関係もあり、知り合いにピアッツァを乗られた方がいらっしゃいましたが、外観デザインは好みの問題もありますが、内装とかハンドリングとかいわゆる先代のFR車のままで余り良くなかったみたいですし、大幅値引きでも売れなかったと記憶しております。
しかし、今考えると時代を先取りしすぎて日本人が時代についてこれなかったのかと思います。
ただ、後年ニコンのカメラを使うようになって、ジウジアーロ氏の名を知ることになり、振り返ってみると40年たった今でも古さを感じさせない外観は、やはり巨匠の作品だと思いました。
昨今 特に日本車には「訳の分からないデザイン」の車が、溢れすぎていると感じる故、このピアッツァのデザインがいかに優れているかを感じます。
これからも、日本で沢山のピアッツァの様な「40年先でも古さを感じさせない車」を、作って欲しいです。
ヤナセでも発売されたJRピアッツァが藤沢の工場からキャリアカーで出荷されていくのを見ると何となく花嫁行列みたいな感じがしましたよw
て言うのも場合によってはエルフに混じって搭載されたり、カタログ撮影用のピアッツァを積んだキャリアカーが走ってたり
ISUZUの乗用車と言えば私は真っ先にフローリアンを思い浮かべるけど、久しくディーゼル乗用車として復帰したのもフローリアンで
エンジン音はエルフと同じw
流石にピアッツァにはディーゼルはなかったけどフローリアン後継のフローリアンアスカの4F系のOHCディーゼルターボはマジに速かった!
横置きFFの悪い癖はあるもののMTなら軽くホイルスピンもしたし、願わくばFRのピアッツァに4FC1ディーゼルが載らないかな〜と本気で期待してました。
本当にピアッツァのデザインは未来のデザインで実際に他のメーカーもこれに追従する形になりましたね。
ISUZUっていい車造れる会社なのに勿体ないよね、ISUZUが生産したWFRファーゴなんてハイエースより頑丈だし、ジャーニーだってシビリアンOEMより全然良かった。
NPR61系エルフから移植した4BD1はランクルのB系エンジンのコースターよりパワーあったしね、ISUZUって国宝なメーカーだと思う。
セラミックグロープラグで急速余熱で寒冷地の強い見方だったな。
そうだよね
なんでトラックメーカーになったのやら
117とかベレGとかよかったのに
そうだ工場長さん覚えてます?わたしW124と「チンピラ」でいろいろあなたと喧嘩したモンザと同一人物です
車名のあとに「箕浦」とあったらモンザだと思ってください
あっちのほうにもコメントしてますよ