生誕40周年! ジウジアーロが手がけた「ピアッツァ」誕生のヒミツ

フェンダーミラーもジウジアーロがデザインした

 いすゞの起案したコンセプトからスタートし、イタルデザイン社によって完成に至ったプロトタイプ「SSW」には、一度は欠番となった「アッソ・ディ・フィオーリ」が再び命名され、1979年3月のジュネーヴ・ショーのイタルデザイン社ブースにて、堂々のワールドプレミアを飾った。

●生産モデル“ピアッツァ”への昇華

2000年4月から約1年間におよぶレストア作業を経て、アッソ・ディ・フィオーリはみごと現在の美しい姿を取り戻した(C)中尾博
2000年4月から約1年間におよぶレストア作業を経て、アッソ・ディ・フィオーリはみごと現在の美しい姿を取り戻した(C)中尾博

 極端にシャープなノーズとリトラクタブルのライトカバーが織りなす、超モダンなスーパーカー的アピアランス。およびエクステリアに負けず未来的なインテリアは、たちまち世界中の自動車エンスージアストを魅了することになる。

 また同年秋の東京モーターショーでは、ホイールのデザイン変更やサイドマーカーの追加など、よりピアッツァに近いディテールが加えられるとともに、いすゞ主導の試作車であることを暗示する「いすゞX」のネーミングも与えられたうえで再登場。巷では市販を待望するリクエストが、日に日に高まっていた。

 しかし実際のところ、ジュネーヴ・ショーにて発表された時点では、生産化、すなわち後の「ピアッツァ」に至る道筋が、既に正式スタートしていたという。

 その概要はアッソ・ディ・フィオーリと同じく、PF系ジェミニをベースとするFRの5座クーペで、2リッターに拡大された4気筒エンジンは上級グレードの「XG」と「XE」がDOHC、ベーシック版がSOHCとされた。

 そして117クーペが生産化された時と同様、ピアッツァ生産化計画においても素晴らしい能力を発揮したのが、いすゞ社内のデザインチームだった。

 いすゞのデザインチームは、初代デザイン部長となった故・井ノ口誼が率いていた時代から、技術力および見識の高さでは、日本の自動車メーカーのなかでも特別な存在だったとされている。そんな彼らにとっても、生産化を意識してデザインされていたとはいえ、一品製作のコンセプトカーとして製作されたアッソ・ディ・フィオーリを量産車として仕立て直すための作業は、大変な苦難だったという。

 その一方で、ピアッツァ発売ののちファンやメディアたちから「日本独自のデザイン」と勝手に決めつけられ、酷評を受けることになってしまったフェンダーミラーも、実は日本の交通法規を考慮してジウジアーロ自らデザインするなど、生産化プロセスについてもイタルデザイン社が密接に関与していた。

 そして、いすゞの生産化担当デザイナーが足しげくイタリア・トリノまで通い、長期逗留する。あるいは、ジウジアーロ自身もしばしば藤沢のいすゞ本社開発室を訪れ、両者の間では活発な議論が交わされた。そして、ジウジアーロによる美的側面と実用性の両立を図るべく、ミリ単位にもおよぶシビア極まる調整作業がおこなわれたとのことである。

 その結果、同時代のPF系(初代)ジェミニのコンポーネンツを使用するという厳しい条件を満たしつつ、ほぼアッソ・ディ・フィオーリを再現した生産型ピアッツァの実現に至ったのだ。

 こうして誕生したピアッツァは、まさしく日本自動車史における金字塔ともいうべき1台となった。生産モデルとは思えないほどに美しいクーペは、イタルデザイン社、そしていすゞ自動車のなかから誰一人欠けたとしても、完成には至らなかったに違いないであろう。

【画像】「ピアッツァ」の原型となったクルマとは?(21枚)

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