伊藤かずえさんの「シーマ」再生が決定! バブルを象徴する初代シーマはどんな車?
日本人の中流意識の高まりを見事にキャッチアップした「シーマ」
日産はかつて数多くのセダンをラインナップしていましたが、その頂点に君臨したのがショーファードリブンカーの「プレジデント」で、その次にアッパーミドルクラスセダンの「セドリック/グロリア」が存在。
そんななか、1986年頃から日本は好景気が始まり、中流意識が高まっていたことから高級なものが求められており、ちょうど時代にマッチしたクルマとして1988年にシーマが誕生しました。
初代シーマは1987年の第27回東京モーターショーにコンセプトカーとして出品され、翌1988年1月に発売されました。販売チャネルの違いによって「セドリックシーマ」と「グロリアシーマ」が正式な車名です。
外観はセドリック/グロリアと一線を画した3ナンバー専用の4ドアピラーレスハードトップのボディで、全長4890mm×全幅1770mm×全高1380mm(タイプIIリミテッド)と、のびのびとしたボディサイズによって欧州車を思わせる流麗な外観デザインとなっていました。
グレード構成は後述のエンジンの違いによって大きくふたつに分けられ、さらに装備によって「タイプI」「タイプII」「タイプII-S」「タイプIIリミテッド」の4タイプを展開。
タイプII-S/タイプIIリミテッドに搭載されたエンジンは255馬力を誇る3リッターV型6気筒DOHCターボの「VG30DET型」で、V型6気筒DOHCターボエンジンはシーマが日本初です。
タイプI/タイプIIには200馬力を発揮する3リッターV型6気筒DOHCエンジン「VG30DE型」が搭載され、トランスミッションは全グレードとも4速ATで、駆動方式はFRの2WDのみ。
なかでもターボエンジン搭載車は車重1640kg(タイプIIリミテッド)のボディをものともしない驚異的な加速力を発揮。アクセルを大きく踏み込んだゼロ発進では柔らかめのサスペンションによってテールをグッと沈ませた姿勢となり、そのままの姿勢で加速する姿はシーマならではの光景でした。
内装は過度の加飾を廃した比較的シンプルな印象で、直線基調のインパネまわりと緩やかにカーブしたメーターバイザーの対比が斬新です。
パワーシートやオートエアコン、オーディオなど高級車では一般的なものは標準装備され、本革シートやシートヒーターなどはグレード別のオプションで設定。
また、当時普及が始まったばかりの高額な自動車電話もオプション設定され、ハンズフリーで会話できるように専用のハンドルには操作ボタンが設置されました。
サスペンションはフロントにストラット、リアにセミトレーリングアームと、セドリック/グロリアからのキャリーオーバーですが、上位グレードには電子制御エアサスペンションが装備。
このエアサスペンションは走行モードの切り替えでバネレートと減衰力の設定が変更され、コンフォートな乗り心地やスポーティな走りにも対応し、さらに乗員の人数が変わっても車高を一定に保つなど、走行安定性が高められました。
初代シーマの発売当初の価格は500万円前後とかなり高額で、デビュー当初はまだヒットには至りませんでしたが、1989年に物品税が廃止されたことや自動車税の低減が図られたことを受け、一気に大ヒットを記録。
シーマのヒットに端を発してトヨタ初代「セルシオ」、8代目「クラウン」、ホンダ「レジェンド」などの高級車が次々とヒットし、こうした現象を経済紙は「シーマ現象」と報道したほどです。
その後、初代シーマは1989年にマイナーチェンジして1990年には装備を簡素化した「タイプLセレクション」の追加をおこない、1991年8月に2代目へバトンタッチしました。
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今回、伊藤さんのシーマを日産がレストアするわけですが、こうした取り組みは非常に珍しいことです。
ホンダとマツダは初代「NSX」、初代「ロードスター」のレストアサービスをおこなっていますが、あくまでも車種を限定した事業の一貫としておこなわれており、日産の「R32型スカイラインGT-R」のレストア事業も同様です。
一方、そうした事業とは別に、日産はこれまで毎年1台のペースで日産と関連会社の有志の手で、歴史的なクルマやレーシングカーのレストアをおこなっており、さまざまな車種に対応できるノウハウの蓄積もあります。
このシーマ・レストアプロジェクトはどのくらいの期間がかかるかは不明ですが、きっと新車同様の姿を見せてくれるでしょう。
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