昭和の伝説的な名車が次々と誕生! 牙が抜かれる前のGTカー5選
悲運の高性能車と庶民派高性能車の誕生
●ホンダ「1300 クーペ」
ホンダは1963年に発売した軽トラックの「T360」によって4輪自動車製造を開始。その後スポーツカーの「Sシリーズ」や、軽乗用車の「N360シリーズ」によって、本格的な自動車メーカーへと成長していきました。
そして1969年に、1.3リッター空冷直列4気筒エンジンをフロントに搭載するFF乗用車の「1300シリーズ」が登場。
本田技研工業の創業者である本田宗一郎氏は、空気でエンジンを冷やす「空冷」至上主義だったことから、空冷エンジンは構造がシンプルで、ラジエーターやウォーターポンプなどが必要ないため信頼性が高く、低コストというメリットを賛辞しており、1300シリーズは空冷エンジンの搭載に至りました。
ボディバリエーションは4ドアセダンと2ドアクーペがあり、グレードはエンジンの仕様で大きく2種類に分けられ、シングルキャブで最高出力100馬力の「77シリーズ」と、4連キャブで最高出力115馬力の「99シリーズ」となっており、どちらも当時の水準ではかなり高性能です。
また、潤滑系はレーシングカーと同じ「ドライサンプ」とするなど、高度なメカニズムを採用。
しかし、1300シリーズに搭載されたエンジンは「二重空冷」という複雑な構造から、空冷エンジンの利点である軽量でシンプルな構造とはいえませんでした。
とくに重量増は深刻な問題で、前後重量バランスの悪さから操縦性に悪影響を及ぼしたといわれています。
そのため、1972年に1300は「145」に改名すると同時に水冷エンジンに換装され、ホンダの4輪用空冷エンジンは終焉を迎えました。
一方で水冷エンジンは排出ガス規制対策には有利で、換装することは必然的だったようです。
●トヨタ「カローラレビン」
1970年に発売されたトヨタ初代「セリカ」にはDOHCエンジンが設定され、それまで特別な存在だったDOHCエンジンの一般化に成功しました。
そして1972年には「カローラ」と「スプリンター」のクーペをベースに、DOHCエンジンを搭載した初代「カローラレビン/スプリンタートレノ」が登場。両車の型式がTE27型だったことから、今でも「ニイナナ」と呼ばれています。
外観では、より太いタイヤが収められるように前後オーバーフェンダーが装着され、レーシングカーに近いイメージによって高性能さをアピール。
搭載されていたエンジンはセリカと同じ1.6リッター直列4気筒DOHCの「2T-G型」で、有鉛ハイオク仕様で最高出力115馬力を発揮。無鉛レギュラー仕様の「2T-GR型」でも110馬力を誇り、860kgほどの軽量な車体には十分すぎるパワーでした。
なお、レビン/トレノには廉価版の「レビンJ/トレノJ」もラインナップされ、外観は変わらないもののエンジンは1.6リッター直列4気筒OHVの「2T-B型」で、最高出力は105馬力(ハイオク仕様)を発揮。
その後、2代目では排出ガス規制から2T-G型は一旦廃止となり、燃料系がキャブレターから電子制御燃料噴射へと変わって復活を果たし、3代目まで搭載され4代目(AE86型)からは新開発の「4A-GEU型」エンジンへとスイッチされました。
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排出ガス規制の強化は、クルマの社会性から考えると当然のことです。世界的にも規制強化は続いていますが、それでもパワーアップが可能となっているのは、技術の進歩にほかなりません。
今後は二酸化炭素の排出量削減も進めなければなりませんが、EVの本格的な普及よりも内燃機関をベースにしたハイブリッドシステムの改善や、内燃機関そのものの改良が急務となっています。
まだまだ内燃機関ではやれることが多そうです。
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