アルファ ロメオ「TZ」のひみつ どうして歴史的アイコンになり得たのか
110年以上の歴史を持つアルファ ロメオ。その長い歴史のなかで、別格扱いのクルマが「TZ」の名を持つレーシングカーだ。このTZの歴史とその名を持つモデルについて解説しよう。
名門アルファ ロメオが誇る「TZ」とは
「TZ」の2文字は、いずれも名門として世界にその名を轟かせるアルファ ロメオとカロッツェリア・ザガートにとって、極めて特別な意味を持つ歴史的アイコンというべきだろう。「T」は、tubolare(トゥボラーレ=チューブラー)。そして「Z」はもちろん、ZAGATOのイニシャルである。
●イタリアの名門カロッツェリア「ザガート」
イタリアを代表する名門カロッツェリア、ザガートは、アルファ ロメオと同じミラノで1919年に創業したカロッツェリア。創世期からアルファ ロメオのボディを数多く架装し、1920-1930年代には、ヴィンテージ/ポスト・ヴィンテージ期のイタリアンスポーツの最高峰と称される「6C1750グランスポルト」や「8C2300」などの素晴らしいアルミニウム製軽量ボディで、世界的な名声を獲得することになった。
第二次大戦後も、ジュリエッタ/ジュリア系をベースに伝説的なコンペティツィオーネを製作。モータースポーツにおいても輝かしい戦歴を重ねた。今なお崇拝されている、カリスマ的存在である。
そして「TZ」のネーミングは、アルファ ロメオとそのレース部門たる「アウトデルタ」、およびカロッツェリア・ザガートの共同開発により、1963−1965年に107台が生産されたといわれる「ジュリアTZ」に端を発するものだ。
アルファ ロメオが鋼管スペースフレームを持つコンペティツィオーネを着想したのは、今を遡ること半世紀以上も前となる1958年のことといわれている。
その時点では、アバルトとのコラボレーションにより、ジュリエッタをベースとするプロトティーポ(試作車)も試作されていた。しかし当時のアルファ首脳陣は、コスト高騰などの問題点から生産化については難色を示し、この試作車は一旦お蔵入りとなってしまう。
それでも鋼管フレームの研究はザガートとともに続行され、1962年秋のトリノ・ショーでは、その直前にデビューしたジュリア系のコンポーネンツを組み合わせたコンセプトカー、「ジュリアTZ」として結実することになるのである。
●「ジュリアTZ」誕生
ジュリアTZは、その車名の由来ともなった高度な鋼管スペースフレームを持つ、純粋なコンペティツィオーネであった。ボディデザインは、当時ザガートに参画したばかりだった若きスタイリスト、エルコーレ・スパーダが、「ジュリエッタSZ2」で初挑戦した「コーダトロンカ」スタイルをさらに発展させたもので、空力的かつ軽量な総アルミボディは、もちろんザガートで製作された。
リアサスペンションは固定長ハーフシャフトとロワーウィッシュボーンによる変型ダブルウィッシュボーンが新設計された。さらにブレーキも4輪ディスクとされている。
エンジンは、1570ccのアルファツインカム。この時点のジュリア・シリーズ中でももっともホットな「TIスーパー」と同一のチューニングとされ、2基のウェーバー45DCOEキャブレターとの組み合わせで112psを絞り出した。そしてこのパワーと660kgという驚くほど軽いウェイトを利して、最高速度は215km/hをマークする、素晴らしい高性能を獲得していたのだ。
ジュリアTZは、翌1964年にFIA国際スポーツ委員会(CSI)のホモロゲーションを獲得。北米セブリング12時間、ル・マン24時間、ニュルブルクリンク1000km、そしてタルガ・フローリオやチルクィート・デル・ムジェッロなど、当時のFIAスポーツカー世界選手権の重要イベントで次々と好成績を挙げ、このシーズンの栄誉を実力で掴み取っていくことになる。
さらにこの年は、クープ・ド・ザルプやポルトガル・インターナショナルなどのラリーでも総合優勝したほか、当時はFIA選手権の対象となっていたヒルクライム競技でも無数の勝利を挙げている。
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