誕生から50年を迎えた奇跡のラリーマシン「ストラトス」とは?
ラリーで勝つことを目的として生まれた究極のパーパスビルドカー「ストラトス」。ランチア ブランドの歴史のなかでも、ひときわ異彩を放つストラトスは、2021年に誕生から50年を迎えた。そこで、ストラトスが生まれた背景を紐解いてみよう。
スーパーカー史に異彩を放つ「ストラトス」は、誕生50年を迎えた
ランチアブランドが消滅の危機にある今こそ、われわれクルマ好きは、ランチアというブランドの歴史を振り返り、その功績をたたえ、歴代モデルの魅力に感動しなければならない。
ランチアというクルマへの、ひとりひとりの熱い想いが重なりあい、大きなうねりとなってFCAの経営陣に届いたとき、今とはもう少し異なる流れも生まれうるだろう。
もっとも、今となってはどこに本社があるのかも不明な会社に、どうやって熱波を送りつけてやればいいものやら……。それはともかく。ランチアの歴史を紐解いたとき、燦然と輝くスター、どころか、まったくもって異彩を放つ存在がある。それが、「ストラトス」だ。
その名も「成層圏」と作ったメーカーが名付けるほどだから、このクルマの異次元感は当然か。もっとも、「どこか違う種類のクルマ」という感覚は、当のランチアのみならず、他の歴史的名車やスーパーカーと並べても際立っている。
要するにストラトスは、ロードカーとして、まったく異質な存在。そう考えていい。
なぜなら、このクルマは、通常のスポーツカーにあるようなコンセプトワークから生まれたものではないからだ。
スーパーカーマニアであれば、ストラトスはパーパスビルトマシンだ、というフレーズを読んだり聞いたりしたことがあるだろう。パーパス=目的のためにビルト=作られたマシン。
よく知られているように、ストラトスは、フィアットグループになったのち、「フルビア」ラリーで新たなブランドイメージ向上のキッカケをつかんだランチアが、いっそうの活躍を目指して計画したモデルであった。
1970年、トリノショーで生産モデルのプロトタイプデビュー。1972年、市販を前に早くもラリープロトタイプクラスへテストを兼ねて参戦。1973年にはラリー・ファイアストンとツール・ド・フランスを制するなど、早くもパーパスビルトマシンの面目躍如となった。1973年末には市販モデル「HF」の生産がようやくはじまり、1974年には待望のグループ4ホモロゲーションを獲得。
そこから本格的な快進撃が始まったが、市販モデルの生産は1975年までおおこなわれたのみだった。
と、簡単な時間軸を並べてみただけで、ストラトスの異様さが浮かびあがるだろう。本格的な生産の始まる前にラリーへ参加。連続する12か月の間に500台を生産しなければいけないグループ4規定を生産途中に取得してWRC参戦。結果的に、総生産台数は500台弱。
コンペティションシーンにおけるイタリアンメーカーの「インチキ」はとりたてて珍しい話ではない。むしろ、その強引さが面白い物語をレース界に残しているとさえ思う。
この事実から伺えるのは、ストラトスはパーパスビルトマシン、どころではなく、ラリー必勝マシンとして計画されたという真実だ。ストラトス誕生に関わった天才たち、たとえばマルチェロ・ガンディーニやジャンパオロ・ダラーラといったスーパーカー界の若きスターたちは、そんな大メーカーのプレッシャーにもめげずに、後世に残る名車を、短期間のうちに作り上げた。
とくに、HFプロトティーポがデビューした1971年といえば、ランボルギーニからカウンタックも登場している。正に、彼らの黄金期にあって、稀代のラリーカー・ストラトスは誕生したのである。
ランチアブランドはもはや風前の灯火なのが残念ですね。