誕生から50年を迎えた奇跡のラリーマシン「ストラトス」とは?
ストラトスは世界最強ラリーマシンだった
V型6気筒エンジンをミドに積む「ストラトスHFストラダーレ」をスーパーカーに列する理由は、パフォーマンスでも、ハンドリングでも、いわんやブランド力でも、ラリーにおける数々の勝利でもない。
マルチェロ・ガンディーニ×ジャンパオロ・ダラーラがデザインした「必勝ラリーマシン」である、というただ1点だ。
ストラトスをじっくり観察してみれば、驚くほど、同時期にデザインされた「クンタッチ」と似ていることが分かる。
意外に思われるかも知れない。けれども、並べてみれば誰もがその類似点に気づくはずだ。たとえばノーズサイド下方の折れ目、たとえばダイナミックにうねるショルダーライン、たとえばリアフェンダー後方のふくらみ……。
取材車両はグループ4タイプであるため、基本のフォルムが隠されてしまっているが、1971年のトリノショーに飾られた市販プロトタイプやアイデアレンダリングをみれば、まるでクンタッチのショートホイールベース版のようである。
そこには、「クンタッチLP400」とまさに同じく、1インチでもデザインを間違えてしまえば、すべてが一気に崩壊してしまいそうな、繊細なデザインの奇跡があると思う。
ガンディーニのスタイリングには、常に人を当惑させ、ドキドキハラハラさせ、しまいには魂を吸い取ってしまう魔力のような「何か」がある。
彼の奥底に秘められた、カースタイリングへの途方もない能力が、「ラリー必勝」というシンプルな目的に向かって合理的に発揮されたとき、恐らくは最初で最後の、恐ろしいまでにプリミティブでストイックなスーパーカー、ランチア・ストラトスが生まれたのだった。
世界ラリー選手権におけるランチアのメイクスタイトル獲得は、1974年から3年連続におよんだが、もちろん、そのときの主役はストラトスであった。WRC通算18勝。恐るべきマシンである。
けれども、ストラトスの凄さを、それだけで表現するのは不十分である。
ストラトスは設計開発段階から未来を見据えて作られた必勝マシンであった。ベースモデルがあって、それを規定に沿って改造し、連続12ヶ月のあいだに500台作ってグループ4のホモロゲーションを取得するのが通常の考え方であるが、その逆、どころか、500台さえ作らなかった、作れなかったのだから、必勝への必死の期し方も分かるというものだろう。
だからこそ、素晴らしい記録を見つけることができる。1976年のメイクス選手権獲得を最後に、フィアットグループはワークスマシンとしてフィアット「131アバルト」を選んだ(実はこのマシンも2年連続でメイクスを獲得している)が、ストラトスはその後もプライベーターたちによって、積極的にWRCその他のラリーにエントリーされ続け、なんと1981年のツール・ド・コルスで優勝、さらに翌年にはヨーロッパ選手権でも2勝するなど、ワークス引退後も高い戦闘力を持ち続けた。これこそ、ストラトスが世界最強ラリーマシンであったことの、証というべきではあるまいか。
ちなみに、ロードカーからグループ4規定へのメーカーによる改造は、主に1976年ごろおこなわれたといわれている。
スーパーラリーカー、ストラトス。その勇姿を今もなおナマで見ることのできる我々は、シアワセだというほかない。
ランチアよ、永遠に!
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●LANCIA STRATOS
ランチア・ストラトス
・全長×全幅×全高:3710mm×1750mm×1114mm
・エンジン:水冷V型6気筒DOHC
・総排気量:2418cc
・最高出力:190ps/7000rpm
・最大トルク:23.0kgm/4000rpm
・トランスミッション:5速MT
●取材協力
DREAM AUTO
ランチアブランドはもはや風前の灯火なのが残念ですね。