シーマ以上の衝撃デビュー!? 日産「インフィニティQ45」を振り返る
日産は1989年にアメリカで高級車ブランドの「インフィニティ」を立ち上げ、現在は北米だけでなく、中南米や欧州、中国、中東などで展開されています。インフィニティの立ち上げと同時に、フラッグシップモデルの「Q45」を発売。日本でも日産「インフィニティQ45」として発売されました。そこで、かつて日産のパーソナルセダンのなかで頂点に君臨した、インフィニティQ45を振り返ります。
日産のフラッグシップとして誕生した「インフィニティQ45」を振り返る
1980年代の終わりに、日本は好景気に湧いていました。後にバブル景気と呼ばれ、当時は国民の中流意識が高まり、自動車市場では高額なモデルが続々と誕生した時期でもあります。
そのバブル景気のピークだった1989年に、日産はアメリカで高級車ブランドの「インフィニティ」を立ち上げ、ホンダの「アキュラ」、トヨタの「レクサス」と覇権を争うことになります。
そして同年、インフィニティのフラッグシップモデルとして「Q45」を発売し、日本でも1988年発売の初代「シーマ」よりもさらに上級のプレステージセダン、日産「インフィニティQ45」がデビュー。
この、まさにバブルの申し子といえるインフィニティQ45について、振り返ります。
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インフィニティQ45は「ジャパンオリジナル」をコンセプトに開発され、従来の高級車像にとらわれない世界に通用する日本独自の価値を追及したセダンです。
グリルレスとした独創的なフロントフェイスや、七宝焼きのエンブレムなど、日本の伝統工芸も採用されました。
ボディサイズは全長5090mm×全幅1825mm×全高1435mmと、初代シーマの全長4890mm×全幅1770mm×全高1380mmより、ひとまわり大きく、特徴的なフロントフェイスと相まってワイド感が強調されています。
全体のフォルムは2880mmのロングホイールベースにより、伸びやかで重厚感のあるサイドビューを演出。6ライトウインドウのキャビンを小さく見せることで、よりボディが大きく見えました。
また、高級感を演出するために樹脂製が一般的だったドアハンドルをダイキャスト製とするなど、見た目だけでなく触れた時の印象にもこだわっています。
搭載されたエンジンは新開発の4.5リッターV型8気筒DOHCで、最高出力は自主規制上限の280馬力を発揮。トランスミッションは4速ATのみで、駆動方式はFRの2WDです。
足まわりには4輪ともマルチリンクが採用され、路面追従性に優れ、当然ながらスポーティさよりも乗り心地の良さを追求したセッティングとなっていました。
さらに、市販車としては世界で初めて、油圧アクティブサスペンションをグレード別で設定。路面状況や速度、走行シーンに応じてアクティブにサスペンションのバネレートや減衰力を制御することで、高い走行安定性と乗り心地の良さを両立するなど、先進技術が搭載されています。
内装ではシート生地にウールやレザーの素材が用意され、欧州の高級車のようなウッドパネルは使われることなく、あくまでも和にこだわった漆塗りのインパネをラインナップ。
スイッチ類はしっとりとした操作感となっており、車載工具の品質にまでこだわるなど、フラッグシップにふさわしく入念につくりこまれています。
そして、まさにバブルを象徴するようなオプションとして、52万円の18金製キーや、最高286万円のダイヤ入りキーが設定されるなど、贅の極みといえるクルマです。
なお、1989年当時の新車価格(消費税含まず)は520万円から630万円と、シーマよりも平均150万円ほど高く設定されていました。
アメリカでは《グリルレス》は売れ無いと言われていたのを承知で投入した車種。確かこの事は表明していた。サスペンスも含め『金掛けられる利点』利用し実験的要素も強い。アメリカの友人が所有しておりハイウェイでは最高とずっと所有している。当時レクサスはドイツ車で置き換えられるが コレは替わるモノ無しと。流石にゴーンの前の日産、丈夫で壊れたら変えると言いつつずっと無故障だそう。自分をクレージーと言う位だから変え無いと思う。現に他に所有する5,6台は行く度に変わっているから(笑)