マイカーが憧れの時代によくぞつくった! 浮世離れした国産車5選
もはや世界遺産級のモデルとなった、日本を代表するスポーツカーとは
●マツダ「ルーチェ ロータリークーペ」
1966年にデビューしたマツダ初代「ルーチェ」は、欧州車のようなスタイルが高く評価されたミドルクラスセダンです。
一方、1967年の第14回東京モーターショーに、低く流麗なプロポーションの2ドアハードトップクーペ「RX87」が展示され、これが1969年に「ルーチェ ロータリークーペ」として発売。
搭載されたエンジンは最高出力126馬力を発揮する655cc×2ローターの「13A型」ロータリーで、後に登場した「13B型」と異なる形式で、ルーチェ ロータリークーペのみに採用されたモデルです。
セダンのルーチェがFRだったのに対し、ルーチェ ロータリークーペは前輪を駆動するFFを採用し、現在までで唯一無二のFFロータリー車となっています。
エンジンを縦置きとしたことで、ロングホイールベースによるエレガントなフォルムを実現。性能も公称最高速度190km/hを誇り、美しいスタイルと相まって、マツダによるキャッチコピーは「ハイウェイの貴公子」でした。
しかし、大卒の初任給が約3万円だった時代に車両価格は145万から175万円と、非常に高価なクルマだったため販売は低迷。発売からわずか3年後の1972年に生産を終了しました。
いまでは現存数も少なく、旧車のイベントなどでも滅多にお目にかかれません。
●トヨタ「2000GT」
1960年代には世界中で数多くの優れたスポーツカーが誕生し、日本でも高速時代に突入していたことで、クルマの高性能化が一気に進みました。
そうしたなか、トヨタは世界に通用するスポーツカーをつくるという目標を掲げ、1964年にヤマハと共同開発の契約を締結。
そして、1965年の東京モーターショーでプロトタイプを展示し、1967年5月に発売されたのが、トヨタ初の本格的スポーツカー「2000GT」です。
外観のデザインは伝統的イギリス製スポーツカーのフォルムであるロングノーズ・ショートデッキを取り入れ、抑揚のある曲面で構成された流麗なファストバックスタイルとなっています。
また、欧州製スポーツカーで取り入れられていたリトラクタブルヘッドライトを、国産車で初めて採用。空力性能も優れていたことから速度記録にも挑戦し、数々の国際記録を樹立しました。
内装はウッドをふんだんに使ったインパネやセンターコンソールに、7連メーターなど、外観と同様に英国調に仕立てられていました。
エンジンは「クラウン」に搭載されていたものをベースに、ヤマハが開発したDOHCヘッドを採用した2リッター直列6気筒で、ソレックス2バレルキャブレターを3連装して最高出力150馬力を誇りました。
これに5速MTが組み合わされ、最高速度220km/h、0-400m加速15.9秒、0-100km/h加速8.6秒と、目標どおり世界トップクラスの動力性能を実現。
サスペンションは純粋なレーシングカーと同様な4輪ダブルウィッシュボーンを採用し、4輪ディスクブレーキ、マグネシウム製ホイールを装着するなど、日本の量産車としては初めて搭載するものばかりでした。
発売当時、2000GTの新車価格は238万円で、初代「カローラ」が約50万円からだったことを考えると、庶民が想像できないほど高価だったといえます。
1967年にフロントマスクのデザイン変更などマイナーチェンジがおこなわれ、1970年までの3年ほどで生産を終了。生産台数はわずか337台でした。
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日本でマイカーを夢から現実にしたクルマといえば、「スバル360」といわれています。
わずか385kgの車体に16馬力の空冷2サイクル2気筒エンジンを搭載し、大人4人が乗って最高速度83km/hを記録する性能でした。
スバル360が発売された1958年の価格は36万5000円と、当時としても決して安くはありませんでしたが、それでも頑張れば手が届く価格とあって、マイカーが夢ではなくなったことを知らしめました。
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