マイカーが憧れの時代によくぞつくった! 浮世離れした国産車5選

1960年代に日本は高度成長期に突入し、国民の所得も上昇していきました。しかし、当時はだれもがマイカーを持てる時代ではありませんでした。そんな頃につくられた浮世離れしたような国産高級車を、5車種ピックアップして紹介します。

1960年代に登場した高級車たちを振り返る

 第二次世界大戦が終結すると、日本でも自動車製造が盛んになりました。戦前から創業していた日産、トヨタ、三菱、マツダ、いすゞ、スズキ、ダイハツに加え、ホンダとスバルが創業し、オートバイ、三輪自動車、四輪自動車を製造。日本の基幹産業へと発展していきます。

1960年代に登場した珠玉の高級スポーツモデルたち
1960年代に登場した珠玉の高級スポーツモデルたち

 そして1960年代になると、日本は高度成長期へと突入。東京オリンピック開催に向け、高速道路網の整備や新幹線の開通といった大きな事業が次々と実現されます。

 その頃、庶民がいつか手に入れたいと夢見るものとして「三種の神器」と呼ばれた工業製品があり、Car(クルマ)、Cooler(クーラー)、Color television(カラーテレビ)の「3C」が、憧れでした。

 当時、マイカーの普及は始まっていましたが、だれもがクルマを所有できないような時代に、とんでもなく高額な国産車が登場。

 そこで、1960年代に登場した、浮世離れしたような国産高級車を、5車種ピックアップして紹介します。

●日産「シルビア」

スペシャリティカーの元祖的存在の初代「シルビア」
スペシャリティカーの元祖的存在の初代「シルビア」

 日産「シルビア」といえば、現在は「スポーツカー」や「デートカー」というイメージですが、初代シルビアは高級なスペシャルティカーとして登場。

 初代シルビアは1964年の東京モーターショーに、ダットサン「クーペ1500」という名で展示され、その後1965年にシルビアの名で発売されました。

 シャシは同社のオープンスポーツカー、ダットサン「フェアレディ」をベースとし、美しいデザインの2ドアクーペボディを架装。エンジンもフェアレディの1.6リッターの直列4気筒OHVエンジンを搭載していました。

 開口部以外に継ぎ目のない美しいフォルムのボディが特徴で、内装もレザーシートに5連メーター、ウッドステアリングなどがおごられ、スポーティかつ高級感を演出。

 また、いまでは当たり前になったフロントディスクブレーキや、トランスミッションにシンクロメッシュを採用するなど、当時の最新技術が投入されています。

 初代シルビアは内外装の造形を優先した結果、製造工程の多くが手作業だったため、1965年3月から1968年6月までの3年間に、わずか554台が生産されるに留まりました。

 当時の価格は高級車の「セドリック」を超える120万円で、同世代の大衆車「サニー」の3倍にあたり、若者は憧れるしかない存在でした。

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●いすゞ「117クーペ」

美しいスタイルはいまも色褪せない魅力がある「117クーペ」(画像は最終モデル)
美しいスタイルはいまも色褪せない魅力がある「117クーペ」(画像は最終モデル)

 戦前のいすゞはトラックを主力商品としていましたが、戦後にイギリスのヒルマンと提携してノックダウン生産するなど、乗用車の製造を本格的に開始。

 そして、1968年に登場したいすゞ「117クーペ」は、ミドルクラスセダンの「フローリアン」のコンポーネントを流用し、同社初のスペシャリティカーとして開発されました。

 流麗で美しい2ドアクーペのボディは、イタリアのデザインスタジオ「カロッツェリア・ギア」によるもので、チーフデザイナーは数多くのスーパーカーを手掛けたジョルジェット・ジウジアーロが担当しました。

 エンジンは当時の国産車では数少ない1.6リッター直列4気筒DOHCを搭載するなど、スピード感あふれるボディにふさわしい性能を実現。

 内装も台湾楠のウッドパネルを使用した上質なもので、イギリスのスポーツカーに通じる高級感がありました。

 初期のモデルは通常の生産ラインでは対応できず、製造工程の多くが手作業だったことから、後に「ハンドメイド」と呼ばれます。

 一方で、1970年にはボッシュ製の電子制御燃料噴射装置を国産車で初めて搭載するなど、先進性も合わせ持っていました。

 当時の新車価格は172万円で、ベースとなったフローリアンの3倍近い価格と、かなりの高額でした。

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●プリンス「スカイラインスポーツ」

イタリアで誕生した美しいクーペ「スカイラインスポーツ」
イタリアで誕生した美しいクーペ「スカイラインスポーツ」

 プリンス自動車が日産と合併するよりも前、1962年にイタリアの著名な工業デザイナーである、ジョヴァンニ・ミケロッティの手によるプリンス「スカイラインスポーツ」が発売されました。

 発売に先立って1960年にイタリアのトリノ国際自動車ショーで、青のクーペと白のコンバーチブルという2種類のスカイラインスポーツが、プロトタイプとして展示されると、デザイン大国の地で大いに話題となります。

 スカイラインスポーツのデザインで特徴的なのがフロントフェイスで、左右に吊り上がって配置された丸目4灯となっており、当時の国産車とは一線を画するものでした。

 また、全体のフォルムも直線基調ながら、伸びやかで美しさを感じさせる2ドアクーペとなっており、余計な加飾を排除したシンプルなインパネまわりや、ナルディ風ステアリングなど、欧州テイストあふれるデザインとなっています。

 エンジンは最高出力94馬力の1.9リッター直列4気筒OHVを搭載し、シャシとともに「グロリア」のものが流用されていました。

 また、当時としては先進的なオートチューニング機能があるラジオや、モーターで伸縮するオートアンテナが標準装備されるなど、プリンスはスカイラインスポーツを高級車に位置付けており、実際に当時の価格はクーペが185万円、コンバーチブルが195万円と、欧州車に匹敵するものでした。

 あまりにも高価だったことと、ボディの製造工程の多くが手作業だったため、生産台数はクーペが35台、コンバーチブルが25台と、合計でもわずか60台しか生産されませんでした。

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