フェラーリだけじゃない! MoMAが認めたクルマとは?【ピニンファリーナ傑作3選:イタ車編】
映画『卒業』で有名な「スパイダー」はどうやって誕生した?
1966年にデビューした「1600スパイダー・デュエット」は、基本的なメカニズムをジュリア・スプリントGTから流用した2シーターのオープンスポーツである。ジュリエッタ時代にヒットを博したスパイダーに次いで、ジュリア系の新世代オープン2シーターのデザインも再びカロッツェリア・ピニンファリーナに委ねられることになった成果である。
●アルファ ロメオ・スパイダー・デュエット(1966年)
そのデザインにおけるオリジンは、ピニンファリーナが1956年代から空力実験を目的として、アルファ ロメオの純粋なレーシングスポーツ「6C3000CM」をベースに製作していた連作「スーペルフロー(Superflow)」に遡る。
その第3作である「スーペルフローIII」から継承された、空力的でスマートなプロポーションに加え、デュエットとしての正式デビュー後にイタリア国内で授けられたニックネーム「osso di seppia(イカの骨)」の由来にもなった、甲イカの骨のようなテールのスタイルとボディ側面に刻まれたえぐり状のプレスラインは、1961年トリノ・ショーで発表されたコンセプトカー「ジュリエッタSSスパイダー」でほぼ完成。市販モデルにアップデートされたのが、スパイダー・デュエットであった。
音楽用語「デュエット(二重奏or二重唱)」から採られた、このロマンティックなペットネームは、今世紀初めの「Mi.To」と同じく一般公募によって決定したもの。そしてジュリエッタ・スパイダーや同時代のスプリントGTシリーズにも負けず劣らず、大きな商業的成功を収めることになるのだ。
しかし、このクルマでなにより有名なエピソードは、ダスティン・ホフマン主演の映画『卒業(The Graduate:1967年・米)』に、主人公の愛車として出演したことだろう。他方アルファ ロメオ側も、1980年代に設定されたスパイダーのグレード名に「グラデュエート(Graduate)」を引用するなど、抜け目のないところを見せている。
くわえて、その寿命の長さは名作ジュリア・シリーズでも随一のもので、ベルリーナ/クーペが1970年代後半にはフェードアウトしていったのに対して、フルモデルチェンジの時機を逸したとはいえ、スパイダーだけは度重なるフェイスリフトで延命が図られることになる。
そして、FWDとなった先代アルファ・スパイダーがデビューする直前、1992年まで生産が継続されたが、近代的なフェイスリフトを受けた最終型「シリーズ4」まで、その人気が衰えることはなかったのだ。
チシタリア202SCやランチア・フラミニアと比べてしまうと、たしかにアルファ・スパイダーは後世への影響こそ薄いものであった。でも、その長命と最後までフレッシュさを失わなかったという事実だけでも、ピニンファリーナの傑作として名を連ねるに相応しいと確信している。
コメント
本コメント欄は、記事に対して個々人の意見や考えを述べたり、ユーザー同士での健全な意見交換を目的としております。マナーや法令・プライバシーに配慮をしコメントするようにお願いいたします。 なお、不適切な内容や表現であると判断した投稿は削除する場合がございます。