フェラーリだけじゃない! MoMAが認めたクルマとは?【ピニンファリーナ傑作3選:イタ車編】
サルーンの基準はランチア「フラミニア」がつくった!
1957年春のジュネーヴ・ショーにて、まずは中核バージョンたるベルリーナから登場したランチア「フラミニア」は、同社の歴史的傑作車「アウレリア」の後継に当たるプレステージモデルであった。
●ランチア・フラミニア(1957年)
フラミニアという美しい名前は、1933年にデビューした「アウグスタ」以来のランチアで踏襲されていた、古代ローマの街道名に因んだ命名法に拠るもの。
その開発を手掛けたのは、アウレリア系の開発も主導した巨匠、ヴィットリオ・ヤーノ技師がフェラーリに移籍したのち主任設計者に就任した、アントニオ・フェッシア教授であるとされている。
フラミニアにおける最大の特徴は、豊富なボディバリエーションといわれている。なかでも中核を成していた4ドアベルリーナ(セダン)とクーペは、ピニンファリーナが提唱した新時代のデザイン様式。のちに「ファリーナスタイル」と呼ばれる独特のフィロソフィを、初めて具現化した一台として知られている。
ピニンファリーナ製フラミニアの起源は、アウレリア時代の1955年に製作・発表されたデザインスタディ「フロリダ」まで遡ることができる。堂々たるサイズの4ドアベルリーナながら、素晴らしくエレガントなフロリダは、当時としては極めて先進的なスタイリングとされた。
また、翌1956年には2ドアクーペ化されるとともに、より現実的なディテールの「フロリダII」も発表。こちらはのちに隠しリアドアを設けられ、バッティスタ・ピニンファリーナ(この年“ファリーナ”から改姓)のプライベートカーとして、長らく愛用された。
そして1957年、まずは4ドア版から正式デビューしたフラミニアは、一連のフロリダ試作車のエッセンスをそのまま生産化したような、先鋭的なモデルとなった。
ベルリーナのデビュー翌年の1958年には、ホイールベースを120mm短縮し、フロリダIIの生産型ともいうべきボディを架装した4シータークーペも追加設定される。
ピニンファリーナの会心作となったフラミニア・ベルリーナとクーペは、当時の技術レベルにおいては常識はずれなほどに薄いルーフに加え、フロント/リアのウインドウを立体的な形状とすることや、上から下に向けて細くなる独特のCピラーで、軽快かつ明るいキャビンを実現し、いつしか「ファリーナスタイル」と呼ばれて、1960年-1970年代の世界で数あまたの追随者を生むことになった。
特に4ドアベルリーナについては、日本のいすゞ自動車の自社開発乗用車第一号となった「ベレル」が、フラミニアそっくりなデザインとされるなど、この時代におけるサルーンデザインの「お手本」となったのである。
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