親戚同士!? ドイツを代表するカーメーカー ポルシェとVWの長くて深い関係とは?
ドイツを代表するスポーツカーメーカー、ポルシェと、同じくドイツを代表する大衆車メーカー、フォルクスワーゲン(VW)。このふたつのメーカーは一見、技術的にも顧客層を見ても交わることのないメーカーのように思えるが、じつは深い関係性が存在する。そんなポルシェとVWの歴史を見ていこう。
ポルシェとフォルクスワーゲンは、創業直後から深い絆で結ばれていた
世界最高水準の技術を誇る老舗のスポーツカーメーカーといえば、多くの人はドイツのポルシェ社を思い浮かべるだろう。
PORSCHE AG初の市販モデルは、1948年にオーストリアのグミュント村にあるポルシェ研究所で試作され、翌年春のジュネーブショーで鮮烈なデビューを飾った。いうまでもなく今でも20世紀のスポーツカーの名作と讃えられているポルシェ「356」である。
多くの人が知っているように、最初のポルシェ356は、フォルクスワーゲン(VW)製の369型水平対向4気筒OHVをベースにした1.1リッターエンジンをリアに搭載していた。
サスペンションもフォルクスワーゲンのタイプ1(ビートル=カブト虫)と同じトレーリングアームと、横置きトーションバースプリングの4輪独立懸架だ。そのためポルシェ356を生み出した父は、ポルシェを創業したフェルディナント・ポルシェ博士、そして母はフォルクスワーゲンと呼ぶ人が少なくないのである。
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ポルシェとフォルクスワーゲンは、創業直後から深い絆で結ばれていた。
1931年、フェルディナント・ポルシェは後に356の開発を主導する息子のフェリー・ポルシェを誘い、ドイツのシュトゥトガルトにポルシェ設計事務所を設立している。
ポルシェ博士は、その3年後にドイツの首相に就任したナチ党総統のアドルフ・ヒトラーに依頼され、国民車の開発に着手した。これが後にカブト虫のニックネームで愛され、単一モデルとしては世界最多量産記録を打ち立てる20世紀の名車、フォルクスワーゲン・タイプ1だ。また、フォルクスワーゲンの基礎となるドイツ国民準備会社の設立にも尽力している。
ポルシェのコードネームを付けた最終プロトタイプは1938年に完成し、量産化に向けての準備が整いつつあった。だが、第二次世界大戦が勃発したため、民生用の量産化計画は先延ばしになっている。
第二次世界大戦後、ポルシェ博士が心血を注いだ1945年秋にフォルクスワーゲンの工場を管理するイギリス軍の指導のもと、生産が開始され、栄光への第一歩を踏み出すのである。
ポルシェ博士は、国民車の設計をおこなっているときから、もうひとつの夢を持っていた。この国民車のエンジンやサスペンション、ステアリングギアなどのパーツを用いたスポーツカーの開発だ。
だが、終戦後にポルシェ博士はフランス軍に逮捕されてしまった。ナチスに協力して戦車や軍事車両の開発をおこなった戦犯と考えられたからである。2年にわたる収容所生活の間、このスポーツカー構想を推し進めたのは、息子のフェリー・ポルシェとアウストロ・ダイムラー時代から有能な助手と見込まれていたカール・ラーベだ。
ポルシェ博士は、釈放されるとポルシェ356の細部の煮詰めについてふたりにアドバイスし、市販に向けて手直しをおこなった。
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